2007年8月

平成19年8月28日(火)
第218号   「甲子園 余波」

佐賀北高の甲子園優勝に関するいくつかの余波をいくつか紹介したい。

1 あの方からお祝いのお言葉が
優勝が決まった翌々日の24日の朝、おめでとうの電話も一段落したころ、宮内庁から北高の山崎校長に電話があった。東宮侍従からだった。佐賀北高に「皇太子殿下から『甲子園優勝おめでとうございます。と佐賀北高に伝えてください』と直接指示を受けました。」とのことだった。皇太子殿下は、高校総体の開会式にご出席されるために7月27日に佐賀県にお越しになり、そのとき開会式の準備をご視察になるため、佐賀北高をご訪問になったのだった。偶然にもその数日前に北高野球部が甲子園出場を決めたばかりだった。皇太子殿下は、開会式の公開演技の練習の様子や動画配信の編集の模様をごらんになり、また、校長に「甲子園に出場が決まられたそうですね。」とお話になっておられた。その後も御関心を持っていただいていたようでとてもありがたい。

2 僕の家からいちばん近い学校だった
僕は小学校4年から中学校3年まで佐賀市内で暮らした。天祐一丁目というところだったが、当時住んでいた家からいちばん近い学校が佐賀北高だった。いちばん近くのバス停も「北高前」だった。北高の優勝を受けて、僕のところに来たメールの中に小学校のころ、一緒にソフトボールをしていた仲間からのものがあった。「当時北高のグラウンドにはずいぶんお世話になったな。だまって使わせてもらって悪かったけど。」そうだった。あのグラウンドでときどき練習をしていた。試合をやったこともあったと思う。ただ、こっそりと近所の学校でソフトをやっていたというだけのことだけど甲子園で優勝したという事実が加わるとそのことだけでもなんか意味があることのように思えてしまう。

3 高浜君が商業に行っていれば・・・
決勝で逆転満塁ホームランを打った副島選手は佐賀市内の城南中学校の出身だ。そして当時のチームメイトには高浜選手という将来性を大きく期待されていた選手がいた。聞いた話によれば、だが、この高浜選手や副島選手はみんなで佐賀商業に進学して、そこで甲子園を目指そうと言っていたらしい。この二人がいくのなら、ということでほかの中学校の選手も佐賀商業に行こうという動きがあったようだ。が、しかし、高浜君には横浜高校野球部から声がかかり、彼はそちらの道を選ぶ。高浜君は横浜高校に進学して直ちにレギュラー。1年生ながら甲子園に出場した。しかし、この夏、横浜高校は甲子園に出ることができず、高浜君は、お盆に佐賀に帰ってきて、行くことになっていたかもしれない佐賀商業のグラウンドを借りてバッティングの練習をしていたという。もちろん今年のドラフトの大きな目玉になる選手であることには間違いない。
高浜君が横浜高校に進むということになって、佐賀商業に集結する、という構想が消えたようだ。結局、副島選手は、百崎監督のいる佐賀北高に進学した。今年の春くらいまでは、佐賀北高野球部はさしたる成績を残していたとはいえなかったが、最後には深紅の大優勝旗を手にすることができた。

4 クラスマッチでも打てなかった
その副島選手、期待されながらも本番には本当に弱かったらしい。先日、県庁に佐賀北高野球部が優勝報告に来てくれたが、百崎監督がひとりひとりの選手の紹介をおもしろくしていただいたが、副島選手についてはこういう紹介だった。
「クラスマッチでも打てなかった男、県予選でも1本もホームランを打ってなかった男が甲子園で3本のホームランを打った。」

このときの様子はいまも動画配信で観ることができる。百崎監督のお話がまことに小気味よい。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/houkei.html

ふるかわ 拝

平成19年8月23日(木)
臨時増刊号   「やったあ!!」

やったあ!!
佐賀北高が甲子園で優勝した。この日応援に行くべきかどうか、けっこう悩んだ。
僕は前日の準決勝にも甲子園に行っていた。いくらプライベートでとはいえ、また行くのかという批判もあるのではないかと思ったし、何より決勝の日の夕方16時からは福岡市でJR九州と佐賀県・鹿児島県が共催して行うこの秋の観光キャンペーンの記者発表が予定されていた。JR九州の石原社長も伊藤鹿児島県知事ももちろん参加される。というか僕も含めて3人が必ず出席できる日程ということでこの日が選ばれていた。まさかこの日まで高校野球が続くとはだれも思ってなかったということだ。さすがにこれには出ないといけない。
となると新神戸駅を13:40くらいに出るのぞみに乗らないといけない。ということは甲子園を13時には出ないといけないということになる。
決勝は13時からだ。ということは何も観られないではないか。
準決勝の結末が見え始めたころから僕のところには決勝戦に関してたくさんのメールが着始めていた。全部「ゼッタイ行ってあげて!」みたいなものだった。電話でもアドバイスをいただいた。「必ず行くべきです。」しかし、だ。だからといって記者発表も無視するわけにはいかない。
最終的に僕は決めた。朝の大阪便で甲子園に向かう。だいたいお昼前には着く。そして、アルプススタンドに来ておられる佐賀北高を応援する人たちに激励をして13時のプレイボールの声を聞いた後、球場を後にして新神戸駅に向かい新幹線で博多に。そうすれば記者発表に間に合う。
そしてそのとおりにした。
その日はお昼くらいに甲子園に着いた。もうきっぷは売り切れ。しかも佐賀北高の陣取る三塁側の方が人の入りがいい。アルプススタンドをぐるっと回りながら応援に来たみなさんに声をかけた。みんな興奮気味。知っている人もたくさんいるし、佐賀県とは直接関係ないところから来ているという人たちにも会った。「佐賀北高にがんばってほしいんです」。仙台から来たというある人はきっぱり言った。「こういう高校が活躍してくれるとうれしいですから」。
いよいよ試合開始。両チームの選手がまずホームプレートをはさんで整列する。佐賀北高の選手はいつも礼がきれいに揃っていて気持ちがいい。その姿を眺めながら、甲子園の決勝戦という場所に佐賀県代表の姿があることの誇りと喜びがこみ上げてきた。本当にありがたい。「プレイボール」のサイレンを聞き、馬場投手の第一球目がボールだったことを確認して甲子園球場を後にした。
新幹線の中では携帯サイトの「スポーツナビ」で試合の様子をチェックした。これだと海外にいようが打者ひとりひとりがアウトになったかヒットしたかにいたるまでほぼリアルタイムでわかる。ところが山陽新幹線はトンネルが多い。携帯がネットにつながらないのだ。やっとつながったと思うといつも広陵の攻撃中。北高のヒットは出ていないし、得点は0−4。ところが広島駅を過ぎてしばらく行った後、やっとつながったと思ったら画面に5−4と出ているではないか。しかも「副島逆転満塁ホームラン!」などと書いてある。
まず思ったことは「サイトの管理者のいたずらでは?」次に思ったのは「本当か?」。
今ならまだ携帯がつながる。あわてて秘書課に電話をして確かめた。「たしかに逆転しています。」「今は?」「9回の表です。この回さえ守ったら勝ちです。いまノーアウトでランナーが・・・」「もしもしランナーが、ランナーが・・・」。切れた。関門トンネルに入ってしまったのだ。本州と九州を結ぶ長い長いトンネル。前後にもトンネルが多く、ふたたびぜんぜんつながらなくなった。
やっと携帯サイトを見ることができたのはもう小倉駅近くだった。でも画面にしっかりと「試合終了」と九回裏のXマーク。勝ったのだ。僕はその瞬間、新幹線の座席から立ち上がり、「佐賀北高優勝しました!」と叫んでいた。残念なことにかなり空いた車両だったし、それぞれみなさん忙しいようで感激を共にするという感じではない。まずい、この気持ちにどっかで始末をつけないと、と思っていたら、乗客のごみを回収する女性の乗務員が僕の席に近づいてくる。僕はワーテルローの戦いの勝者を告げるロスチャイルドのようなおごそかな気持ちで「今回の甲子園、佐賀北高が優勝しました」と告げた。残念ながら彼女はその結果よりも僕の座席の前にある袋の中にあるものがごみなのかどうか、により関心があるように思えたが。
ともあれ僕は佐賀北高の優勝を知った。なんとも幸せな気持ちになった。
優勝したとたん、メールボックスにおめでとうメールが鬼のように着始めた。いいたかないがこの春の選挙で当選を決めたときよりもはるかに多い。
もっとも事務的だったのは秘書課からのものだった。

「件名 【報告】佐賀北高校の試合結果(秘書課)」
「古川知事 様    
秘書課 ●●
5対4で佐賀北が勝ちました。
全国制覇です。以上、ご報告いたします。」

たしかに最初にほしいのはこの事実なのだけどね。
多くのメールに「がばい旋風ですね」とあった。そういうふうに見えるのかもしれない。
ただ、僕は思う。
今回の佐賀北高の優勝の意味は、普通の高校生たち、いわば「お隣のお兄ちゃん」がこれだけやれた、というところではないだろうか。
「リトルリーグで活躍した特待生中心に甲子園で戦う」というのではない、公立の普通高校が高校野球の頂点にたどり着くことができたということは高校野球の新しい可能性を示しているような気がしてならない。
高校総体といい、今年の夏は高校生たちによる奇跡の夏だった。

ふるかわ 拝

平成19年8月21日(火)
第217号   「台湾キャンペーン」

先週末は台湾にいた。ハウスみかんのキャンペーンのためだ。佐賀県は全国一のハウスみかんの産地。全国の生産量の約25%を占めている。2位の愛知県が15%だから、堂々たる1位ということができるだろう。このハウスみかんを台湾でナンバーワンブランドにするというのがこのハウスみかんプロジェクトの目標だ。

佐賀県にはハウスみかんだけではなく、いちご、梨などなどいろんなものがある。
今回、ハウスみかんにしたのは、品質はもとより、日本で生産量がナンバーワンだからだ。日本でナンバーワンのものをお持ちしました、というほうが、日本で2番目ですけど味はいちばんです、というよりはるかに説明がしやすいし、お客様から見てもインパクトがある。

台湾市場にしたのは検疫条件をクリアすれば輸出が可能になっているから(中国本土はまだだめになっている)ということや日本のもの=高品質というプラスイメージとして捉えられていること、そして台湾は国民一人当たりGDPが15,000ドルを超え(日本は34,000ドルくらい)、1パック250台湾ドル(約1,000円)のハウスみかんでも買っていただける層がある程度存在すると判断したことによる。

台湾向けに輸出するハウスみかんのブランド名を「佐賀みかん J−PON」と定めた。眞木準さんにお願いして作っていただいたが、JAPANのものだということもわかり、J−POPとの連想も出てくる、すごく素敵な名前だと思う。いまも台湾で佐賀県産のハウスみかんが売られているのだが、ほとんどの人は佐賀県産ということを意識せず、ただの「日本産温室蜜柑」として買っておられる。そこに佐賀県という名前をインプットしたいのだ。幸い、いまは佐賀という名前は台湾の人に有名だ。それは「佐賀のがばいばあちゃん」が台湾で大ヒットしたからだ。この佐賀という名前とハウスみかんを結びつけて佐賀のハウスみかんJ−PONを覚えてもらう。そして4年間かけて台湾でのナンバーワンブランドにすることに成功したら、今度は、そのノウハウを生かして、台湾で佐賀のいちごを売り込むとか、視点を変えて、このJ−PONを香港で売るとか、そういう多方面の展開が可能になるだろうと思う。

そういうさまざまな思いをこめてスタートさせたこのハウスみかんプロジェクト、そのピークイベントが今回の台湾でのキャンペーンだったのだ。ところが台風とぶつかりイベント当日は台湾全土が暴風雨圏内に入るほど。普通なら11:00に開くはずのイベント会場の百貨店も14:00に開店を変更。ほぼ開店と同時にこのイベントをスタートさせることになったのだが、果たして台風のさなかに人が来るのかどうか、というか、まあこないでしょう、というあきらめの境地だった。
ところが、実際には意外にも人が来てくれた。天気のいい週末だったならばもっと人が集まっただろう、という思いは否めないが、県HPを見ていただくとわかるように、イメージキャラクターのアリエル・リンさんの絶妙の笑顔と演技がJ−PONにうまくマッチしていてイメージとしてはぴったりだった。彼女の魅力とJ−PONのおいしさがうまくオーバーラップしてくれるのではないか、と強く感じた。

前の日の夜、ご一緒に会食した台湾の経済界を代表する方はJ−PONだけでなく佐賀県が誇るいちご「さがほのか」にも関心を持っていただいた。いまでもその方がおもちのレストランチェーンでは日本産いちごをつかって春先にキャンペーンをやっているのだという。もっといいいちごがないか。そういうアンテナを張っておられるのだった。

海外への県産品の売り込みはやればやるほどもっとやれることがある、という手ごたえを感じる。これまで未開拓だったのだ。経済や社会が変化している中、従来のイメージでは通用しない部分が出てきている。あらためて新しい市場の存在を実感した。

ふるかわ 拝

平成19年8月7日(火)
第216号   「『生ましめん哉』と『夕凪の街 桜の国』」

毎年この時期になると戦争関連の作品や記事がいろいろ出てくるが、今年の8月6日の新聞のコラムでは二つのものが取り上げられていた。
ひとつが読売新聞の「編集手帳」。栗原貞子さんの「生ましめん哉」という詩をテーマにしたものだ。原爆投下によりある古いビルの地下室にけが人や瀕死の重傷者がひしめきあっていた8月7日の夜、若い女性が産気づく。「私が産婆です。生ませましょう」と一人の重傷者が名乗り出て、子どもが生まれ、そしてその産婆は息を引き取る。その光景を描いたこの詩は栗原貞子さんの代表作となり、去年は国会でも取り上げられ、今回、英訳もされたという。
はずかしながら僕は、この詩ことをつい先日のNHKの「視点・論点」ではじめて知った。詩人アーサー・ビナードがこの詩のことを取り上げていたのだ。
ビナードは、「「生ましめん哉」を英訳するのはとても難しい、なぜなら文語体の「生ましめんかな」にはもっと深く根づいた、くそ度胸にも似た抵抗の意志が込められているから」と言っている。
僕は「くそ度胸」というよりも、新しい命を誕生させる、ということの呪術的な色彩を「生ましめん哉」という言葉の響きに感じる。古事記に出てくるように、イザナミが「一日に千人殺してみせよう」と言ったのに対してイザナギが「だったら一日に千五百人の産屋を建ててやろう」と応じた、あのやりとりを彷彿させる。
ビナードの解説と栗原貞子さんの詩「生ましめん哉」は、こちらのサイトで読むことができる。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4193.html#more

もうひとつは日本経済新聞「春秋」。映画「夕凪の街 桜の国」を取り上げていた。僕はこれを原作の漫画で読んだ。現代と戦争当時とをうまくオーバーラップさせながら時代を超えた原作の漫画は、読んだときから不思議な触感(触感としかいいようがない)が僕の中に残った。
黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」が同時代的なある種の幻覚をテーマにしていたのに対し、この作品(映画は観ていないけれど)は時代がスライドしていくだけ、せつなさがいや優っているように思った。
この夏は、あと二つ読みたい戦争関連のものがある。
読み終えたらまたご報告したい。

ふるかわ 拝

平成19年8月1日(火)
臨時増刊号   「青春・佐賀総体についての県職員へのメッセージ」

青春・佐賀総体が始まった。佐賀県を舞台に約1か月にわたって続くいわゆるインターハイ。猛暑日が続く中、連日の熱戦が続いている。
その開会式が7月28日(土曜日)に行われた。皇太子殿下のご臨席を仰ぎ、晴天の、というか炎暑の下、行われた開会式だったが、主催者である僕が言うのも変だが本当にすばらしいものだった。
このことについて県職員に宛てた僕からのメッセージを紹介したい。そのときの様子がわかっていただけると思う。

(メッセージ)

高校総体の開会式、そして公開演技。36.4度の暑さを忘れさせるような、完璧な出来でした。これに関わっていただいたすべてのみなさんに、そしてとりわけ実際に演技をした高校生諸君に心から「おめでとう!」と「ありがとう!」を言いたいと思います。

開会式もきちんとしていましたし公開演技もすばらしいものでした。とくに公開演技においては、佐賀錦をイメージした色布を組み合わせたダンスではイメージ通りの色調が紡ぎ出されていました。晴天の下、そして会場を渡る風がうまくこの公開演技の手助けをしてくれました。

バルーンもうまくふくらみました。上昇気流のおかげでした。総合運動場の地表近くにはわずかながら上昇気流があります。しかもその上昇気流は午前中にしか発生しないものだといいます。この上昇気流を使ってバルーンをふくらませようということを考えたのは佐賀女子高校の光岡先生でした。雨が降ってもだめ。風が強すぎてもだめ。開会式が午後だったらだめ。そういう条件の下ではじめて可能になったこのバルーンのダンスでしたが、まことに見事でした。

炎暑の中、皇太子殿下はこの式典の一部始終をじっとロイヤルボックスでごらんいただきました。庇があるとはいえ、ロイヤルボックスの回りは警備上、壁が作られていて風が通りません。グラウンド近くよりむしろ暑かったくらいかもしれませんが、御顔にうっすら光っていた汗をお拭きになることもなく、じっとごらんになっていただきました。控え室にお戻りになるときに随従していた私が「さぞお暑うございましたでしょう」と申し上げたところ、「いい天気に恵まれて子どもたちが練習の成果を発揮できてよかったですね」とのお答えをいただきました。 本当にありがたく思いました。

いよいよ総体本番がスタートしました。日中も夜も人出が多いなあと思います。賑わいがあると私たちまで元気になります。私たち県庁職員は率先して訪れていただいた方に佐賀県を愉しんでいただけるよう心がけましょう。困ってそうな人がいたら声をかけてみる。それだけでも十分違うと思います。


(メッセージおわり)

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臨時増増刊   「青春・佐賀総体開会式での歓迎のことば」

この開会式で開催地の知事として僕は歓迎のことばを述べた。たいへんうれしいことに「あれはよかった」という声をいただいている。それだけの出来だったかどうかはわからないが、短い文でもあるし、ここに紹介させていただきたい。

「歓迎のことば」

歓迎のごあいさつをさせていただく前に、 このたびの台風4号 そして 新潟県 中越沖地震で亡くなられた方々に、心からおくやみを申し上げますとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

本日、皇太子殿下の御臨席を賜りまして 「平成19年度 全国高等学校総合体育大会」を、ここ佐賀の地で開催できますことを大変うれしく思います。

県民を代表いたしまして、すべての皆さまに対して、心から歓迎と感謝を申し上げます。

佐賀県の高校生たちは、この大会を開催するに当たりまして、 「見るより参加」、「参加するなら主役」、そんな思いのもと、「一人一役」を合言葉に準備を進めてまいりました。
 
この開会式の会場のバックスタンドに羽ばたく県の鳥「カササギ」、 私どもの言葉では「カチガラス」と申しておりますが、この絵も、 そしてまた、皇太子殿下のいらっしゃいますロイヤルボックス、 そこを飾るパネルの絵も、全県から公募した美術部員のチームが描きました。
会場の周りで風にはためくフラッグは、 文芸部員が考えたメッセージを、書道部員たちが力強く書きあげました。
今も動画を撮っていますけれども、インターネットによる全種目の動画配信、そして全試合の携帯による情報発信、こうした、高校総体では初めての試みに挑戦する、そういう情報処理部員もいます。
 
そして今、舞台はいよいよ整いました。

「日本一」という夢を追うことのできる選手の皆さんといっしょに、これまで準備に携わってきたたくさんの高校生も、 また、これから大会の運営に力を発揮する高校生も、ともに誇らしくこの舞台に上がってほしいと思います。
夢に挑戦する選手も高校生なら、それを支えるのも高校生。そんな高校総体の魅力を、選手の皆さんは からだいっぱいに感じて、自分のベストを超えた結果をつかんでください。

入場行進で見せた、君だけの笑顔を、再び三たびまた見せてください。

そこには必ず、「あなただけの金メダル」が待っています。

すべてのチームがすべての試合に勝つことはできません。でもすべての試合に全力を尽くすことはできるはずです。

この「佐賀の夏」が、参加いただいた全ての君たち、皆さん方にとって心に残るものとなりますことを心からお祈りして、歓迎のことばとさせていただきます。
         

平成19年7月28日
 佐賀県知事 古川 康