| 2004年11月 | |
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| 平成16年11月30日(火) 第080号 「エレベータの中で初対面の人に話しかけるいい方法」 もうずいぶん前のことだが、松江の東急インに泊まったことがあった。そしてそのホテルにスピッツというグループのメンバーが泊まっていた。そのころはスピッツの全盛期。ホテルの前にたくさんのファンが待ち構えていた。 僕はスピッツの曲をどれくらい知っているかといえば、くたびれた温泉旅館に置いてあるカラオケ本に載っているような曲なら歌えるという程度だ。だからあまりスピッツのことを気にすることもなくホテルに入り、普通にエレベータに乗った。そしたら、そこにスピッツのボーカルの草野マサムネさんがいた。彼がエレベータの中にいるらしい、というのが雰囲気でわかったのか、ファンがなんだか大きな声を出しているようだが、なんせエレベータ。 ドアはすぐ閉まった。 エレベータの中ってなぜかちょっとした緊張感がある。あのハコに入るとつい饒舌になるという人はあまりいないだろう。 だから別にわざわざ話しかける必要はなかったと思うのだが、せっかくこれだけの狭い空間を共にしているのだからなんとか話をしてみたかった。ところが僕がそれまでに読んだ人生のマニュアル本にもトルストイの長編小説にも「エレベータの中で初対面の人に話しかけるいい方法」というのは書いてなかったように思った。結局、勢いで「いやあ、ファンが大変ですねえ」と話しかけた。草野さんは「いやいや、ありがたいですよ。ホント」とていねいに受け答えしてくれた。 草野さんの方が先にエレベータを降りた。降りるとき、気持ちだけかもしれないが、かすかに会釈をしてくれたような気がした。 先日東京で僕が泊まったホテルにはペ・ヨンジュンが泊まっていた。ホテルの玄関先にはやはり女性たちがずらりと並んで「ペ」様をお待ち申し上げていた。 出張で同行した僕の秘書はなんと「ペ」様とエレベータで一緒になったという。 「何か話しかけた?」 「エレベータの中で初対面の人に話しかける(しかも礼儀正しく)方法を思いつかず、またその必要性もさほどには感じなかったもので。」 「それは残念。」 「そういう場合、どう話しかければいいのでしょう。」 少なくとも今回の場合は「元気ハツラツ?」だろうけどなあ。(つまりこういう意味です) ちなみに「エレベータの中での気の利いた視線の配分方法」についても悩んでいるところだ。 ふるかわ 拝 |
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| 平成16年11月23日(火) 第079号 「『交遊抄』 外伝」 今度、光栄なことに日本経済新聞の「交遊抄」というところに文章を載せていただくことになった。 日本経済新聞の最終面(いちばん後ろのページ)で「私の履歴書」の下のコラムである。 僕自身あのコラムはよく目を通すので、そこに書いてほしいという依頼があったときは正直うれしかった。力作をと思い、二本書いてみた。先方に送ったのは一本だからもう一本は残った。いわばボツ原稿というわけだ。でも自分なりに字数制限と戦いながら書いたかわいい作品である。少しでも人の目に触れてほしく、ここに載せさせていただきたい。最初書いたとき、字数の倍くらいの分量になった。そこで削りに削ったのだが削ったほうがシャープな文章になるというのは発見だった。 ということで「交遊抄」にふさわしく、芸人の「はなわ」さんとの出会いについて。 「佐賀県」に出た理由 古川 康 僕が選挙に当選した翌日の平成15年4月14日、事務所に一本の電話があった。 放送局からだった。「はなわというタレントがぜひ次期佐賀県知事の前で歌を歌いたいって言ってるんです。」聞けば彼が僕の前で歌う姿をテレビ番組として放映したいのだという。その電話を受けた事務局長は歌詞を一瞥して、丁重に、しかしきっぱりとお断りした。県庁OBのその人としては当然の対応だったろう。僕がその話を知ったのは翌日だった。僕は以前からはなわさんの名前を聞いたことがあった。そこで番組内容もよく見ずにまず会ってみることにした。まじめなナイスガイだ。歌もなかなかいい。 「踊ってもらえませんか」、「歌ってくれませんか」と言われ、ふと気がつくとそうしていた。それからしばらく経ったある日、友だちからメールが来た。 「はなわの「佐賀県」って曲のプロモーションビデオにおまえ出てたね。」 そんなわけない、あれはテレビ番組の取材だったはず、と思って確認したら「SAGAさが〜」と楽しげに歌っている僕がそこにいる。どうも僕の出た番組は「はなわがプロモを作っているところを撮っている」というものだったらしい。彼とはそれ以来だ。今年の紅白にもぜひ出てほしいな。今度は吉野ヶ里からライブで。 (ふるかわ やすし=佐賀県知事) 編集部に送ったほうは今月末から来月アタマのうちのいつか載るはずである。 どうかしばらくご注目いただきたい。 ふるかわ 拝 |
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| 平成16年11月16日(火) 第078号 「アラファトが死んだ日」 地方自治体には番号がある。郵便番号ではなく、自治体の番号として各種の統計に使われているのだ。 たとえば、都道府県番号でいえば、北海道は1 、青森県は2と北から順につけてあり、東京は13、佐賀県は41となる。もちろん市町村にも番号がある。 都道府県対抗駅伝のときのゼッケン番号だと思ってもらえばよい。 それと同じように、国にも番号がある。国際電話を使うときに使われるものだ。正確には国コードというようだが、日本は81になっている。海外から日本に国際電話をかけるときは必ずどこかで 81 をダイアルしているはずだ。 1はアメリカやカナダ。2は別にして、7がロシア。一ケタはこれだけで後は二ケタ、三ケタとなっている。 この国コードがあるということはすなわち、独立した存在として認められていることを意味していると言ってもいいだろう。 国旗や国歌は自分で決めてしまえば定めることができる。しかし、国コードはほかの国によって認めてもらわなければ使えない。 その点、先日亡くなったアラファトが議長をしていたパレスチナには、国コードがある。970 という。 90年代にイスラエルとパレスチナとの間に和平が成立した。パレスチナの将来的な独立をイスラエルが認めざるをえなくなった。そうは言ってもパレスチナの独立を喜ばないイスラエルにとって、パレスチナが「独立宣言をする」ということは耐え切れないことだった。そのとき、アメリカのクリントン大統領が仲介に入り、アラファトに独立宣言をしないよう要請した。、それを受け入れたパレスチナにいわばごほうびとして独立国となった証として国コードが与えられたのだった。 国コードと一緒に与えられたものがもうひとつある。 ドメイン名だ。日本が「.jp」であるように、パレスチナには「.ps」というドメイン名が与えられた。 そうそう、ところで、国コードの 2 はどこのことか。エルサレム だ。イスラエルではない。イスラエルの国コードは972。 国家でもない、ひとつの町に国コードが与えられている。そのこと自体がこの町の持つ意味の重さを表しているようだ。 アラファトは(自称だが)エルサレム生まれだった。 ふるかわ 拝 |
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| 平成16年11月9日(火) 第077号 「スシバー」 さらにドイツの続きを。 オープニングセレモニーの夜はレセプションだった。 おおぜいの方々に来ていただき、ホスト役を務めていたのでパーティでほとんど何も食べられなかった。そこでパーティが終わった後、腹ごしらえに出かけた。スシバーが流行ってまして、とガイドさんから聞いていたので近くにあるスシバーに行ってみることになった。ドイツ人が寿司をどう理解しているのか、という興味もあった。 同じ通りに2軒スシバーがあった。向かい合わせになっている。どうも片方があやしくもう片方はまともそうだ。まずは、あやしげなところに入って様子を見ることにした。 その店内は回転寿司になっていた。ただ、皿そのものが回っているのではなく、刺身を舟盛りにする、あの舟の上に寿司ネタの載った皿が回っていた。その舟の下は水が流れている。 メニューは、といえば、かろうじてマグロとサーモンと甘えびは理解できたものの、あとはおよそわが国ではみかけない巻物がメインだった。色とりどりのトッピングがくっついているありさまは、サーティワンアイスクリームみたいな感じだった。 きっと「たらこ納豆スパゲティ」というのを初めて見たイタリア人もこういう気分だったに違いない。ヤキトリもあったなあ。 長居は無用と早々に切り上げた。その店を出ようとしたら、現地の人であろうカップルが店に入ろうとしていた。(ちょっと待って、といいたかったけど。) その店は経営者も職人もベトナムの人のようだった。 ということで向かいの店に入った。 その店の名もなんと「スシバー」。まるで世界に一つしかスシバーがないような強気のネーミングである。しかも、その強気は店構えにも反映されているようで、すくなくとも回転寿司ではない。 これはいけるかも、期待を持って入っていった。 しかし、思わぬことは常に起きる。カウンターに職人さんの姿が見えないのだ。探してみたら、店の奥である東洋的な顔立ちの男の人がラーメンを食べていた。 目があったらこそこそと食べるのをやめてカウンターの向こう側に入った。その人が職人だったのだ。聞けば香港からだという。スシバーのまかないがインスタントラーメンかあ。でもフランス料理店のスタッフのまかないもだいたい和食だというしなあ。 などといろいろ複雑な思いを持ちつつ席に座った。そこにはしっかりメニューもあった。 カッパ巻き(6こ) 2.5ユーロ(=350円くらい) マグロ(2カン) 4.5ユーロ(=630円くらい) トロ(2カン) 5.5ユーロ(=770円くらい) このほかシヤヤッコ(どうもひややっこのことのよう)なんてもあったし、やっぱりヤキトリがあった。 スシバーにヤキトリ。普通なのかな。 味は前の店よりはずっとよかった。ただし全部サビ抜きである。 その代わり、わさびは別に練りわさびが盛られてくる。ドイツのお客さんはわさびが好きな人とだめな人が分かれるので、こうしてるのだという。 その店にいたアルバイト女性は日本人だった。彼女の話によればこの店のオーナーはロシア人。彼女自身はドイツの音楽史を専攻しているという。「何世紀くらいの歴史に興味があるの?」と同行者Aがたずねた。「1960年代です。」と屈託なく彼女は答えたのだが、それがどうも同行者Aの感性とはややずれるところがあったのか、Aは「そういうものが音楽史の対象たりうるのか」という議論を始めた。彼女にしてみれば、「ネタがおいしくない」とか「値段が高い」とかで文句を言われるのは給料のうちだろうが、自分の専攻の年代についてけちをつけられても困っただろう。 4人で行き同じものを2カンとか頼んで食べていたのだが、こういう得体の知れないものを食べるときには人間性が出る。 同行者Bは、スシバーに向かうときまでは「いやあ、パーティでは食べられなくて。スシかあ、愉しみだなあ。」とのたもうていたが、最初の店に入るなり絶句し、何を勧めても、「いや、親から遅い時間にはものを食べるなといわれてまして」とかなんとか言を左右にして食べなくなった。2軒目の店では少し食べていたのだが、それも、あるネタを自分が食べる前にまず僕が食べるのを待っていて、「どうですか?」と聞くのだ。「まあまあですよ」とか「いけますよ」というと「そうですか、じゃあ私も」と言って食べ始める。こういう人はきっと長生きするな(笑)。 ふるかわ 拝 |
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| 平成16年11月2日(火) 第076号 「ドイツにて」 もうずいぶん昔のことのように思えてしまうのだが、ドイツに2泊4日という強行軍で出張した。 具体的には10月17日出発で20日に台風の中、帰国した。 ドイツのマイセンという磁器の産地がある。そこと有田町が姉妹提携をはじめて25周年になるというので有田陶芸協会の会員(ということは錚々たるメンバーということです。会長は酒井田柿右衛門先生)の皆さんがそれぞれ作品をもちよってドイツで展覧会をすることになり、そのベルリンにおけるオープニングセレモニーに行ったのだった。 ベルリンでの用事を済ませてマイセンに向かった。 マイセンは元東ドイツの地域で、ドレスデンの近く。ベルリンからは車で3時間くらいになる。マイセン製陶所で社長にお目にかかり、最近の磁器業界のお話を聞かせていただいたり工房の現場を見せていただいた。 マイセン磁器はもともと有田のマネから始まっている。わが国がドイツのマネをしたものはいろいろあってもその逆は珍しいだろう。有田陶芸協会を代表した柿右衛門会長とご一緒だったのだが、あくまでも堂々としておられる。有田焼のいいものは世界中どこに出しても恥ずかしくないのだ、ということを僕自身が再認識した。 ドレスデンの美術館に行ったときも、案内する学芸員が柿右衛門先生を見つめる目や説明する姿全体が敬意に満ち溢れていた。とても誇らしげな気持ちになった。世界で勝負できることの強みを感じたといってもよい。 今回在ベルリンの日本大使館を表敬訪問をさせていただいた。 だいたい大使館の応接間には有田焼が飾ってあることが多いのだが、ここでも大使館の応接間には今右衛門先生の壺が飾られていた。 改めて世界を視野に入れることの必要性を感じた。 一方で中国からノリが輸入されることになるかもしれない、というニュースも聞こえてきている。 陶磁器世界だけでなく、ビジネスの世界はワールドワイドで動いている。そういう時代にどう佐賀県として対応していくのか、そういう戦略の必要性を感じた4日間だった。 ふるかわ 拝 |