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引き受けたことを藤島さんが激しく後悔されたかどうか、webmasにはわかりませんが、その後の藤島さんのお仕事がどんなに過酷だったか想像は容易でした。
まずはシナリオを読んでもらいました。10年後の佐賀県のイメージをつかんでもらうため、参考資料をwebmasはかき集めました。細かい打ち合わせをメールや電話でやりとりしました。藤島さんは佐賀県のことをとてもよく調べてくださいました。でも、せっかく描いていただいた下絵を見て、描き直しをしてもらったこともありました。こちらのイメージと違うことをメールで伝えると、翌日にはちゃんとイメージ通りの絵が届くのです。
そうやって藤島さんはひたすら絵を描き続けたのでした。
フラッシュで絵を動かすときには、吹きだしのセリフが決まってなくてはいけません。シナリオはお渡ししたものの、yasushi氏のほうでマニフェストの内容がまだ細かくチェックされて変更し続けていたので当然セリフも変わります。webmasは気が気じゃありませんでした。
期限をきってyasushi氏にマニフェストの確定を迫っていましたが、どうも修正は続きます。マニフェストを納得のいくまできちんと考えたいというyasushi氏の思いもじゅうぶんわかります。藤島さんにセリフの修正を随時お願いするのも限界だとwebmasは思いました。もうこれは、ムービーができあがってから、セリフの部分だけ修正をしなくてはいけない。それは藤島さんでなく地元、そしてwabmasがいつでも行ってチェックできる近くにいるひとでなくてはならない!そう思いました。
そしてこのひとが登場します。
藤尾さん。なんとまた「藤」のつく名前です(笑)。藤尾さんがいなかったらこのプロジェクトは成功しませんでした。表に名前は出ていませんが、藤尾さんのおかげでなんとか間に合ったようなものです。
セリフの修正からBGMや音声をつける作業まで、最後の締めをやってもらいました。この仕事をお願いするときも、webmasは必死でした。聞けば驚くような過酷な内容の仕事です。絶対に無理だと思うような締め切り。徹夜続きは必至です。
webmasの話を黙って聞いていた藤尾さんは言いました。
「わかりました。やってみます」
(ますますつづく・・・) |
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