時事評論(外交知識普及会 発行)
2004/10月号掲載
地方からの発信 「支援する」ということ    佐賀県知事 古川 康

この夏、12年ぶりにカンボジアに行った。国際協力のスタディツアーである。駐カンボジアの高橋文明大使にも、時間を取っていただいた。

大使との議論の中で「実のある支援とは、どういうことなのか」「どうしたら、それができるのか」ということになり、僕はこんな話をした。

僕は「地球市民の会」という佐賀県に本拠を持つ国際協力のNGOに属している。この会はタイの子どもたちに奨学金を出している。その会のある会員の話である。

以前奨学金を贈っていた少年から、その会員のところに一通の手紙が届いた。彼はその奨学金のおかげで学校を卒業し、その後、IT関係の企業に就職、今度は台湾の工場に勤めることになったという内容だった。
その会員は、彼に会いに台湾に行った。昔を懐かしみ、またこれからの夢を語りながら食事をした。その中で家族の話が出た。彼には弟がいて、その弟が今度、高校に進むことになった、という。
会員は「じゃあ、また奨学金を出させてよ」と軽い気持ちで言った。ところが、彼から返ってきた答えはこうだった。「あなたのおかげで私はこうやって、学校を出て、台湾に来ました。タイにいるのと比べてたくさんの収入を得られるようになりました。今度は私が弟の面倒を見ます。そして弟も学校を出たら、また自分で仕事を見つけられるようになると思います。あなたの蒔いてくれた種がこうして育っています」

≪支援をする≫というのは、こういうことなのだと思う。

自立できるようにするために、そっと何か後から背中を支えるような、そしていつのまにか背中を押す手が離れていても、気づかずに一人で歩けるようになっているような−そういうことではないだろうか。

こうも思った。

道路を造ったり、水道施設を作ったりという大がかりな支援は国にしかできない。でも、このような人対人の支援は、逆に国にはできず、自治体や団体・個人が得意とするところだろう。 

国でしかできないことは国にしていただく。自治体や住民でできることは自分たちの力でしていく。これって、要するに三位一体の改革と同じなんじゃないだろうか。