月刊『茶の間』新茶号 5 2004 掲載

今がまさに旬の、地方に新風を吹き込む若きニューリーダーたち。
その中でひときわ際立つ存在が、古川 康 佐賀県知事です。
魅力はなんと言っても、茶目っ気のある、フレンドリーなお人柄。
出会った瞬間から緊張がほぐれ、まるで友達のような親しみやすさで、これほどまでにフランクにお話をさせていただき、これほど近くに感じられる知事にお会いしたのは、初めてのことでした。
日常生活から離れない視点を大切に佐賀県をリードする知事に、県政への思いやお国自慢を語っていただきました。


昭和33年、佐賀県唐津市生まれ。
昭和57年、東京大学法学部卒業。自治省(現総務省)入省。
平成元年、長野県企画局企画課長。
平成4年、自治大臣官房情報管理官付課長補佐。
平成6年、岡山県総務部財政課長。
平成9年、自治大臣秘書官。
平成10年、自治大臣官房企画室環境対策企画官。
平成11年、長崎県商工労働部長。
平成13年、長崎県総務部長。
平成15年、佐賀県知事(1期目)。  

本日はお忙しい中、有り難うございます。知事は月刊『茶の間』の誌面をご覧いただいたことはございますか?  

ええ、存じ上げていましたよ。
以前に確か長崎県でも知事の取材をされたことがありましたよね。  

はい、平成十一年に金子知事のインタビューをさせていただきました。

私が商工労働部長をしていた頃ですね。その時に、月刊・茶の間・という雑誌があって、取材をしに来られるんですよという話をお聞きしたものですから。それで、ああ、なるほどと思って誌面を拝見した憶えがあります。その意味では、何となく気になっていた雑誌だっただけに、インタビューを受けることになって、有り難いことだなと光栄に思っております。  
今日は大切なお客様ということで、宇治茶もいいのですが、我が佐賀県が誇る嬉野茶を柿右衛門の器でお入れして、備中産の小豆に和三盆糖を使った佐賀県自慢の小城ようかんを準備いたしました。どうぞ召し上がってください。  

恐縮です。早速ですが、中央官僚から地方自治体の首長へと、責任の大きさが全く違う世界に転身されたわけですが、それを決断するに至った経緯はどのようなものだったのですか?  

私は前々から、将来的には佐賀県に帰るとずっと言ってきておりました。  
それというのも、義務教育を地元の唐津で受けて、高校進学の際、県外に出てしまったのですが、ふと気が付くと、一番の稼ぎ時に余所の県に行ってるわけです。  
子どもの時にお金をかけて育てていただいたにもかかわらず、教育の成果を発揮する場が県外で、自分なりに力を出し尽くした後に人生の終焉をふるさとで迎えるというのは、育ててくれたふるさとから見ると、あまり実入りが少なくて申し訳ないなと感じていたのです。特に大学の頃からそういう気持ちが強くなりまして、それで自治省(現総務省)に入ったわけです。  
自治省へ入るときも、ゆくゆくは佐賀県へ戻りたいと思っていました。選挙に出るかどうかというのは別にして、やがては現役のうちに地元に帰って、自分が培ったものを佐賀県のために使いたいと強く思っておりました。  
知事選に出ないかとお話をいただいたのは、一年半ほど前、隣の長崎県で、商工労働部長に引き続き総務部長を務めている時でした。  
ただ、知事選に出馬するということは、それまで順調に歩んできていた公務員人生を敢えて消すことになるわけですから、そこは非常に迷いましたね。  

具体的にはどのような心の葛藤がおありだったのですか?  

二十九年間、地元を離れていましたから、主な支援団体があるわけでもありません。同級生とか知り合いの市町村長さんが「あんた、帰って来んね」と言ってはくれたものの、正直言って、ずいぶん悩みました。  
いま選挙に出れば、若い分だけ体は動くだろう。当選すれば最年少知事になるとわかっていましたので、その意味ではインパクトはあるだろうし、若いからこそできることもあるだろう。これからの知事は円熟味というより、むしろ行動力とか、新しいことを発信していくことのほうが求められるだろうとも思い、とにかく勝負してみようと思いました。  
最後に、ある先輩から、「あんた、出た時の後悔と、出らんかった時の後悔と、どっちが大きいと思うね?」と言われて、それで決断することができました。  

奥様から反対はなかったのでしょうか?  

ありませんでした。「もう、よかことせんね」という感じで賛成してくれました。私は自治大臣の秘書官もやっておりましたので、政治家の配偶者がいかに大変であるかということを折にふれて言ってきておりました。また、結婚する時から、彼女には「いつまでもこういう生活でいるかどうか、わからんよ」と言ってましたので、結婚当初から私は彼女にマニフェストをしていたわけですよ。  

知事になる前と、なった後とで、ここはちょっと違うなということはおありですか?  

まずは言葉の重み。前の井本知事からも、引き継ぎの時に「知事は言葉が重いから、あれは違ってましたとか言い直しが効かないから大変だよ。言葉はきちんと考えたほうがいいよ」とアドバイスをいただきました。一つひとつの言葉に責任が伴いますので、その重みというものを改めて感じていますね。  
あと、何と言っても顔が知られてしまったものですから、お店に入って物を買わずに出てくることがしにくくなったことですね(笑)。私はできる限り佐賀県外では買物をしないで、基本的にあらゆるものは佐賀県内で買いたいと思っております。たとえば洋服屋さんとかに行きますでしょ。こういう体格ですから、服のサイズが合わないことがよくあるわけですよ。でも、何も買わずにお店を出るのが辛いんですね。そこで仕方なしに靴下や何かを買ったりするんですね。それが大きく変わったところです(笑)。  

知事選に出馬された時から「現場」「オープン」「協働」という三つのキーワードを掲げておられますが、その発想の意図は?  

自分がもし責任者になったら、こんな風にしたいというプランは、自分なりに温めて来ていたんです。  
私は昔から現場が好きだったので、長崎県で商工労働部長だった時には、県内の多くの企業を回りました。  
当時の私たち自治省の人間というのは、短い期間しかその県にいられなかったので、その中で自分に何ができるかということを考えたときに、まずは他の職員並み、いやそれ以上に知識を得ないことには仕事にならない。そういう意味で、現場を回って物を見て、それで自分の知識、経験を身につけていくということを、どこの県に行ってもやっていました。  
その中で、やはり現場は雄弁だということを思い知りました。現場は嘘を付けませんしね。  
あと、実際に現場で働いている方の一言、二言というのが非常にピンと来たりということもありますので、「現場」をキーの一つにしています。   
次はオープン。昔、孔子は『論語』の中で「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」と言いました。平たく言えば、情報を民衆に教えると良くないということです。これが東洋的価値観における為政者の在り方だったと思うのですが、これからは逆に「知らしむべし、由らしむべからず」だと思うんです。  
とにかく、いろんなことを皆さんにお知らせしましょう。ただ、行政は手品師ではありませんので、種も仕掛けもないのに、鳩は出せないということなんです。情報公開することで、それがよく分かってもらえると思うんです。それによって県民から無茶な要求もなくなるだろうし、逆に我々も「あれもできます、これもできます」ということは言えなくなります。  
そういうお互いに成熟した関係を、国では大きすぎますが、地方自治の現場であれば、トップが見える間柄の中でつくっていくことができると思いましたので、「オープン」をキーに揚げました。  
そして「協働」。行政主導ではなくて、民間の人たちの知恵や気持ちを反映することが大事です。  
以上、これまでに自分が培ってきたもの、感じてきたものを、三つのキーワードにまとめたという感じですね。  

そうした発想そのものが、かつての「お役所」からすれば、考えられないことですよね。  

そうなんですよ。佐賀県庁という言葉がありますけども、庁というのは元々は建物のことなんです。  
我々は行政体としては佐賀県なんですが、もっときちんと表現すれば、佐賀県政府なんですよね。使い途も言わずに住民の方々から税金をいただいているわけです。  
普通、お商売をされていれば、お客様に「この商品はこういうものでございます」と一所懸命説明して、ご納得して買っていただき、お代を頂戴しますよね。  
それに反して、私ども行政というのは、使い途も言わずに、いきなり強制的に税という形で取ってしまって、その使い途は考えますけども、一方の住民の代表である議会がチェックしてお金を使っていくという仕組みなわけです。これはまさしく政府であるわけです。  
実は佐賀県というのは佐賀県政府なんだよ、ということで、そうやって皆さんから集めているお金をどう使うかということに対する説明をきちんとしなければいけない。これまで国に対して佐賀県はああです、こうですと説明してきた方向を県民のほうに転換して説明していこうということを言ってきているんです。  

就任二年目の今年、年頭にあたって「改進」という言葉を揚げておられますが、そこにはどのような思いが込められているのでしょうか?  

「壊す」「止める」「無くす」という改革ではなくて、「治す」「変える」「進める」みたいな、そんな前向きの改革をしていきたいというところから、職員とのブレーンストーミングの中で出てきた言葉なんです。佐賀が生んだ英傑、大隈重信が結成した立憲改進党の改進か、それはいいねということで。これにならって「立県改進」の精神で県政を進めていきたいと考えたのです。  私自身、改革という言葉は使いたくありませんでした。改革という言葉にもうみんな飽き飽きしているのと、革の字がひっくり返すという感じがありましたので。我が佐賀県を考えた時に、ひっくり返すのはどうかなと思ったものですから、改革ではなく、敢えて改進という言葉を選んだわけです。    

凄くパワフルでテンポのいいお話ぶりですが、「知事とかたろうかい」でいろんな地域に出向かれて県民の方々と積極的に交わり、ディスカッションされていますね。  

そうですね。「かたろうかい」のかたろうというのは、もちろんお喋りをしましょうという意味の語ろうと、佐賀の方言でかたろうというのは「参加しよう」という意味なんですね。「あんたもかたらんね」「なら俺もかたろうかな」みたいに使うわけです。  

どんな漢字を宛てるんですか?  

平仮名です。古語に「かたらふ」という言葉がありますよね。「一緒になって」という意味ですが、語源はおそらくそのかたらふに由来すると思うんです。  これには深謀遠慮がありましてね。去年の一月二十四日に長崎県を辞めて選挙が三月末だったものですから、わずか二カ月しか佐賀にいませんでした。自分なりに佐賀県を外からも見ていましたし、自分の思いみたいなものはあったのですが、今の佐賀県で何が起きているかということを、実はよくわからなかったんです。  
早いうちであれば、少々知らなくても許してくれるでしょうが、二、三年経っても行ったこともありません、聞いたこともありませんでは、知事としての職責を果たすことができません。それで、できるだけ早い時期に立ち上げて、県下を隈無く回ってしまおうと思ったんです。  
その単位として四十九の市町村があります。その一個一個に出向き、現場を見ることと併せて、その「かたろうかい」で、住民の方たちが何を不満に思い、何を期待し、どんなことを知りたいのかということを直接やりとりすることによって、一つひとつ積み重ねができていくと思ったんですね。  
これはまったくシナリオがありません。時間になったら、私がまずマイクを握って五十分喋ります。残りの七十分は、県民の方と直接質疑応答します。  
いろんな質問が出てきますから、最初のうちは、実は怖くて仕方がなかったんです。聞いたこともない補助金について質問を受け、どぎまぎして、そんなところからのスタートです。  
最初はきつかったですけど、今ではもう楽しみになっています。  

さて、この夏の大きなイベントとして「佐賀城本丸歴史館」がオープンするとのことですが、これに寄せる期待とはどのようなものですか?  

佐賀に来られるお客様を堂々とご案内できる場所がこれでできたなと喜んでいます。佐賀が最も光り輝いていた幕末から維新にかけての激動の時代をメインテーマにして展示物を用意していますので、佐賀が一番誇りにしている部分をご覧いただけることと思います。  司馬遼太郎をして、「スエズ以東で文明国というものがあったとしたら、それは幕末の佐賀藩をおいて他になかった」とまで言わしめたところですので、確かにあの時代は凄かったと思います。  

佐賀といえば、佐賀県の歌で有名になったはなわくんのプロモーションビデオにも知事はご出演なさっているとか…。  

そうなんです。出ているんです。選挙が終わったすぐ後に、彼が出ている番組から取材依頼があったんです。選挙事務所のほうは最初、歌詞がけしからんと断ったそうですが、私はNHKテレビの「爆笑オンエアバトル」に彼が出ているのを見て知っていましたから、断るなら会ってからでもいいでしょう、と会ったんです。  
そうしましたら、真面目な人なんですよ。地味で真面目で、もう佐賀県人そのもの(笑)。というより当時、感じが何か痛々しかった。とにかくこれで売るんだという悲壮感さえ漂っていて。それで、数分話しただけで、彼に感情移入してしまったんですね。歌を聴いて、「けっこういい歌じゃん」と思いましたしね。楽曲がいいと。歌詞を問題にした人はその後、多いんですけど、曲そのものを誉めたのは、私と福山雅治との二人しかいない(笑)。  
実は私、長野県にいた頃、ラジオのレギュラー番組をやっていたことがあるんです。もちろん公務員ですからペンネームで。行政とは全く関係ない、日常の中のどうでもいいようなネタを毎週七分間、一人で喋っていました。いま話題の「トリビア」の前身は私じゃないかと思っているほどです・笑・。日常生活から外れずに常に接点を持っていたいので、いまもホームページを開設してそこにエッセイを書いて載せています。  

目標にされるリーダー像と座右の銘は?  

学生時代から尊敬していたのは原敬ですね。原敬は自分自身の生活を非常に質素にしながら、我が国がどうあるべきかを考え続けた人です。  
座右の銘は、自治省に入った時に一番最初に教えられた「一隅を照らす」ですね。  

事は旅行がご趣味とお聞きしていますが、それよりもまず、全国の読者に佐賀に旅行に来てもらわなければなりませんね。最後にそのメッセージを。  

まず、佐賀県にぜひ来ていただきたい方がいるんです。それは、まだ一度も来たことがないという方。たくさんいらっしゃると思うんですが、きっかけはそれでけっこうですので、佐賀がどんなところか、ぜひ足を運んでいただければと思います。  
これからの新緑時は、ちょうど新茶の時期ですね。読者の皆様はお茶には親しんでいただいていると思いますので、そのお茶を入れる器とお茶に合うお菓子を楽しみに佐賀に来ていただければよろしいかと思います。  
佐賀はご存じのように焼物が有名です。  
このゴールデンウィークには、今年で百一回目の「有田陶器市」も開かれます。全国からの焼物ファンで大にぎわいを見せるお祭りですが、有田の他にも伊万里や唐津がありますので、ぜひ一度お越しいただきたいですね。               
 

優れた品質の海苔が養殖されている有明海。


この夏8月にオープン予定の新スポット「佐賀城本丸歴史館」


ヨーロッパを代表する陶磁器マイセンにも影響を与えた有田焼の故郷に誕生した陶器の一大テーマパーク


「有田ポーセリンパーク」 例年4月29日から5月5日にかけて催される一大イベント
「有田陶器市」


吉野ヶ里遺跡