| スポーツニッポン 2004年10月10日(日曜日)掲載 | |
| 「佐賀は九州の2番バッター」 | |
| 1番・長崎、2番・佐賀、3番・熊本、4番・福岡、5番・大分、6番・鹿児島、7番・宮崎 8、9番なし・・・DH・沖縄 |
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| 人口、経済規模・・・地味ではありますが 元西鉄"最強の2番"トヨさんと熱血トーク ![]() 「佐賀は九州の2番打者、ゲームメーカーです」と話す古川 康知事に豊田 泰光氏は「応援します!」 佐賀県は九州の2番打者だ。 お笑いタレント、はなわのヒット曲「佐賀県」で全国的な話題となった佐賀県だが、人口や経済規模は九州・山口でほぼ最下位という地味な存在。しかし全国で2番目に若い√歳の古川康知事は「佐賀県は九州の将来を作るゲームメーカー」といぶし銀の2番打者にたとえ存在の重さを強調する。 古川知事が語る九州、プロ野球文化、2番打者論。 元西鉄ライオンズ史上最強の2番打者で「佐賀は野球人生の原点」という本紙評論家、豊田泰光氏(69)が聞いた。(構成・中島 泉) 古川知事プロフィール 古川 康(ふるかわ・やすし) 1958年(昭33)7月15日生まれ。佐賀県唐津市出身。46歳。小学校4年のとき佐賀市に転居。佐賀大付属中、ラ・サール高を経て東大法学部卒。東大時代はボート部に所属。82年(昭57)自治省に入省。自治大臣秘書官、長崎県商工労働部長・同総務部長など歴任。2003年(平15)4月、当時日本一若い知事(44歳8カ月、現在は2番目)として佐賀県知事に就任。地元局NBCラジオ佐賀の番組「BREAK!」(土曜日午後5時〜)のパーソナリティーも務め豊田氏との対談の一部は23、30日の番組で放送される。 豊田氏感慨・・・「野球人生の原点」 51年ぶり訪問 豊田 泰光さん(以下豊田)佐賀は私の野球の原点なんです。新人だった昭和28年、当時の杵島炭鉱の球場で私のエラーで西鉄は逆転負けしました。「すみません」と謝ったら「すみませんですめば警察はいらんぞ」、「歩いて帰れ」って先輩から怒られ帰りのバスは針のむしろ。その試合は打っても1四球3三振。まさにわが人生最大ののトラウマになりました。 古川康知事 (以下古川)とんだ“豊田デー”だったわけですね。その球場にこの3月、51年ぶりにお出でいただきましたね。 豊田 あの試合を見ていたオールドファンともお会いできました。当時のことをみなさん、よくご記憶で驚きました。改めて野球という文化のすごさを感じました。 古川 私は昭和33年生まれで、当時唐津に住んでいまして、よく父親に連れられて平和台球場に行ったんです。南海ホークスには木塚(忠助、唐津中出身)がいまして、父親は「木塚がおるけん南海ば応援せんばいかんぞ」と。平和台の三塁側で南海を応援していたら、後ろから物を投げられてけがをしたことがありました。 豊田 平和台のファンは乱暴でしたからね。でも、そんな環境の中で私は強く生きてこられたし、ヤジに耐えてこられたのはあの杵島炭鉱の球場でのエラーがあったからだと思います。あのエラーで、ミスをしたら取り返すことが大事だと知りました。あれは私のプロ野球の原点だったんです。トラウマどころか貴重な財産かもしれません。 "出身"香田監督駒大苫小牧に栄冠 甲子園優勝 古川 今年、甲子園の高校野球で初めて北海道代表の駒大苫小牧が優勝しました。その監督さんが佐賀県出身の香田誉士史さんだったので、県民としてうれしかったですね。 豊田 ぼくもテレビのインタビューを観ていて涙が出ました。「道産子が頑張りました」、「最高だ、ありがとう」ってねえ。最近、世の中に感動することが少なくなってきただけに佐賀県の大ヒットです。感動しました。偉い人ですね。香田監督という人は。 古川 ええ。佐賀商で選手として春夏3度甲子園に出て、94年夏の全国制覇の時には母校の臨時コーチをされてたんです。今も北海道で怒るときは佐賀弁らしいです。 豊田 いいですね。それが本当ですよね。そういう熱情を込める時ってつい方言が出ます。それがとても人間的だなあ。でも、地元もつらいですね。北海道に優勝させて、本家本元はどうしたって言われませんか。 古川 ええ、実際に呼び戻せなんて声も出ましたが、佐賀の人材が全国でお役に立つのもすばらしい事ですし、また新たな人材を育てていくということが大事でしょう。 欠くことのできない"つなぎ役" 交通の要衝 古川 さて豊田さんは「いい2番バッターのいるチームは強い」ともおっしゃいます。2番打者とはそもそもどういう存在なんですか。 豊田 私は新人時代8番で、それから2番、あとは3、4番の経験がありますが、2番が一番おもしろい。2番打者は試合を作れるんです。1番バッターが出ると走者をどうやって得点圏に進めるか、と考えます。当時の西鉄・三原監督は選手に任せるケースが多かった。そこでエンドランをやろうとする。カウントを整え走者にサインを出す。見事に決まったときは何とも言えないうれしさでした。走者をかえす役の3、4番は打つだけで本当は楽なんです。そこまでつなげていく人が大変で、だからおもしろみがあるんです。 古川 私は豊田さんとお会いしてから佐賀県2番打者論というのをずっと考えています。九州の地理的中心とか人がいっぱいいるとかではないんですが、隣に大都市があり、風光明媚なところもあり、南北十字に交通の要衝の地もある。そういう自分たちが持っているものをうまく出していけば、2番打者のように九州のいろんなゲームが作れていくような気がするんです。 豊田 つまり欠くことのできないつなぎ役だ。 心臓部「ハート・オブ・ザ・九州」 『九州県』?! 古川 九州を一個の体にたとえると、顔であり頭脳であるのは福岡。長崎はおしゃれな服であり、力強く歩く下半身は鹿児島です。佐賀は心臓部、つまり「ハート・オブ・ザ・九州」。ここがうまく機能しないと体全体がおかしくなる。福岡のまねばかりするのではなく、心臓部にしかできないことをやっていこうとしたら大きな可能性が出てくると思ってるんです。打順で言えば福岡が4番。3番は熊本、5番は大分で、6番・鹿児島、7番・宮崎という感じかな。8、9番はなし。で、長崎がトップバッターで、DHが沖縄でしょうか。いずれにしろこれからは環境問題など九州単位、地域単位でものを考える機会が増えてくると思います。中心地や都会地ばかりでなく、うちの県のようなところがしっかりしていてきちんと役割を果たせることが大切ですし、打線全体の得点力がアップすると思います。 豊田 私は「茨城生まれの九州人」とよく言われるんですが、古川知事から見て九州とは? 古川 九州はいいなと思うのは九州全体への思いが強いところですね。私は中部や中国地方に住んだことありますけど、「中部人」などという意識を持ってる人はほとんどいません。ところが、九州は「九州人」という意識がよそよりもずっと強い。甲子園の高校野球でも自分の県の高校が負けたら隣の県を応援したりします。 豊田 そうそう。まだ九州は残っとるとか。 古川 だから「九州」という共通の思いで、一緒にやれるところは一緒にやって、九州のどっかがよくなったらみんながよくなるという意識が強いですね。それを今まで行政がむしろ邪魔してきた。たとえばダイエーホークスは福岡以外の人もいっぱい応援しています。それなのに不要な線引きをし過ぎてきた。 豊田 いっそ九州が1県になってしまえばいいんです。いち早く名乗りを挙げたらどうですか? 古川 佐賀県を改名して「九州県」にしたらいいでしょうね。 豊田 私、応援しますよ。 ▼豊田さんと杵島炭鉱グラウンド 1953年(昭28)4月12日、プロ入りしたばかりのルーキーだった西鉄ライオンズの豊田泰光さんは佐賀県杵島郡大町町の旧杵島炭鉱グラウンドで行われた東急戦で決勝エラーを犯した。西鉄1点リードの9回2死二、三塁に正面のショートゴロをトンネル。2走者が還り逆転された。その苦い思い出のグラウンドを豊田さんはこの3月に再訪。同町公民館で古川康知事、地元の野球ファンとの懇親会や地元少年チームへの指導も行った。 旧杵島炭鉱グラウンドのある大町町公民館で古川康知事(左端)も加わり、豊田氏と地元野球ファンの懇親会も行った。 |