| 編集・発行:日経産業消費研究所 | |
| 日経グローカル2005.11.21 No.40「知事が喝」 | |
| 閣僚は官僚に負けるな 郵政の"奇跡"、分権でも | |
| 佐賀県知事 古川 康 | |
| 地方無視の霞が関 地方分権改革に対する各省庁の取り組み姿勢をみていると、怒りと哀しみがないまぜになったような気持ちになる。去年の闘い方は我々にもスキがあった。国民健康保険の都道府県負担がぎりぎりになって浮上し、それを拒絶することで改革全体をボツにする訳にはいかず、受けざるを得なかった。その時は、まだ来年があるから来年こそはきちんとしようという判断もあった。今年は昨年の反省に立って、生活保護費のように地方に税源移譲されても裁量が高まらない怪しげな項目については国と地方で話し合うことが決まり協議会が設置されたし、昨年から問題になっている義務教育費国庫負担金も中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)で地方代表を交えて議論されてきた。今年につながる成果もあったわけだ。 しかし、我々からすると、最も注目を集めている義務教育費にしても、野球にたとえれば決して地方分権改革の“4番バッター”ではない。国民健康保険、義務教育費、生活保護費のクリーンナップで得点(税源移譲額)の8割を稼ぎ出すというのでは、そんなチームを誰が望んだのかという話になる。我々は、あまりホームランは打たなくてもシャープで出塁率の高い15、6人の選手を推薦し、その中からベストナインを選んでほしいと言ってきた。つまり金額は小さくても地方の裁量性、自由度の拡大に寄与する補助金廃止リストを作成し、政府に提示したのだが、各省庁からは全く無視された。けしからんと腹が立つと同時に、本当に残念に思う。 霞が関の官僚にとって、「地方案を尊重せよ」という小泉純一郎首相の指示・命令と、自分たちの既得権益のどちらが大事かといえば、自分たちの方が大事なのである。首相には任期があるが、役人には定年しかないという事情もある。だが、去年と今年が大きく違うのは、小泉首相のリーダーシップと意気込みだ。郵政民営化は政界の常識からすると、たわごと、ざれごとだった。首相はこれまでの政界の常識を破って、いわば奇跡を起こした。「官から民へ」の世界だけでなく、今度は小泉構造改革のもう一方の柱である「国から地方へ」の分野において、もう1度奇跡を、小泉マジックを見せてほしいと願っている。 「米百俵」の教訓は「一般財源化」 我々は小泉首相に対して何の不満もない。首相は衆院選後、強いリーダーシップを発揮し、「抵抗勢力」に対してひるまず、微動だにせず、地方分権改革についても「地方案を尊重してやれ」と力強く発言されている。この姿勢を貫いてもらいたいし、小泉改革の方針に反する大臣は罷免していただきたい。首相が任免する国務大臣なのだから、小泉改革の金看板に傷を付け、役人の書いたペーパーを見ながら発言するような大臣は小泉内閣の閣僚としてはふさわしくない。この点で、中教審が義務教育費の国庫負担を堅持すべきだという答申を出したのに対し、小坂憲次文科相が「国庫負担の削減」に言及したことは評価できる。 教育に関して、小泉首相はよく「米百俵」の話をされる。窮乏して食べ物の足りない長岡藩が、他の藩から届けられた米を食糧とせず、人材育成のために学校を建てたという故事だが、この話には2つの教訓がある。1つは食べ物を削ってでも教育に回そうという意欲が昔もそうだったし、今も地域にあるということ。2つ目は、その米を売って他の用途に使えたから学校を建てることができた、つまり一般財源だからこそできたということだ。もしこれが今の省庁のような役所から配られた補助金みたいなものだったらどうだろう。「教育に回すなんてとんでもない。食べてもらわないと困ります。会計検査院ににらまれます」と文句を言われる。これでは「米百俵」の美談は成立しない。小泉首相なら分かってもらえると思う。 官僚を「善玉コレステロール」に たまたま今、閣僚になっている方も政治家として思うこと、言いたいことはあるだろう。だが、小泉内閣の閣僚になる時には首相によって任命され、首相を補佐する大臣だということを意識して就任されたはずだ。官僚には負けないでほしい。 私は、官僚機構は「コレステロール」と言っている。悪い意味ばかりではなく、コレステロールに悪玉と善玉があるように、我が国のために一生懸命働いている官僚はたくさんいる。何よりも世界の中で伍してやっていくための外交は国にしかできないし、国際社会の中で日本はどうあるべきかとか、少なくとも日本人であることが損になったり身の安全が保障されない状態にならないようにすることは、国の役人にしかできない。そうした役割は昔より大きくなっており、政府にしっかりがんばってほしいと心から思う。 一方で、内政において、どこに補助金を配るかといった仕事は誰がやっても同じであり、そんなことはもっと現場に近いところに任せてもらって、官僚の知恵と経験が生かせる場に力を集中させてほしい。民間企業も「選択と集中」と言っているではないか。霞が関も自分たちにしかできないことに集中すれば、すべて善玉コレステロールに変わる。陳情書の厚い順番にカネを配ろうというのが悪玉コレステロールだ。補助金に関しては、悪玉の弊害が出てきている。 施設整備費に風穴を 地方が求めている施設整備費の税源移譲に対し、財務省などは「借金である建設国債が財源だからできない」の一点張りだ。だが、赤字国債の返済にも税金が充られている。しかも国の税収約44兆円に対して赤字国債は建設国債の4.5倍の約28兆円に上っており、補助金の半分近くは赤字国債分であるはずだ。だからといって赤字国債の分は駄目という整理の仕方にはなっておらず、「建設国債だから駄目」という理屈は筋が通っていない。 施設整備費は少しでも風穴を開けられれば、将来の公共事業費の税源移譲への道が開け、我々としては勝利だ。安倍晋三官房長官が各省庁別に割り当てた補助金削減額は、厚生労働省が最も多く5040億円。地方が猛反対している生活保護費を入れなければ、施設整備費に手を付けざるを得ないのではないか。また環境省への割り当てはわずか50億円だが、ゴミ処理施設の補助金を対象にしないと目標金額を達成できない。 地方分権改革は、無駄な支出をやめて、地域の実情、住民の意向に沿った形で物事が進んでいくようにする。そうすることによって「低コストで高満足の社会」を築くことができる。これが分権改革の目標だ。ところが、霞が関は政策判断が伴うような補助金を地方に渡そうとしない。国は地方への介入、規制を極力抑え、地方も何か問題があった時には国のせいにはしないという、互いに自立した関係に移行していくべきだ。 (談) |