2003年季刊誌「澪」 秋創刊号掲載
Sagaよかとこ発信 http://www.mio-sawayaka.net/
■さがんリーダー

古川 康さんをもっと知りたい 「知事を訪ねて」

今年4月激戦を潜り抜けての就任から6ヶ月、これまで公の席で2回お目にかかりました。なんだか親しみやすそうな・・・という感じです。
インタビューのお願いでメールのやり取りをさせていただく中で、お忙しい中ようやく昼休みの30分間を割いていただきました。とても気さくな方のようでした。
もっと古川知事のことを知りたい。
もっと親しみが持てたら、きっと政治にも関心が向いてくるのじゃないかしら?


本は「ツケ」で買っていた康少年

どんな環境で過ごされましたか

中学生のころから、本はツケで買っていたんですよ。
本が欲しいときは、「お父さんの名前を言えばいい」と。
本を買うのは無制限にOKだった。父は会社に勤めるサラリーマンで、まあ普通の暮らしだったと思いますけれど。学ぶとか本に対して非常に重きを置いた環境でした。それでも、落語などをテレビでやっていると、勉強中でも、「落語をやっているから見ろ」と言われました。
国語算数理科社会だけじゃなくて、いろんなものを子どもに伝えたいという意識、「学ぶことの大事さ」を、親に教えてもらったと思います。

中学時代の友人は、「彼はいつもクラスの中心人物で、行動をおこす発起人だった。
リーダー性があり頭脳明晰なうえ、率先して行動していた。自治省時代はNGO活動参加、NPO活動参加とか。
自発的に行動できる環境を作り出していくのが彼のよさ」と語っています。


子どもの頃の夢

小さい頃は、「南海ホークスのショートになる」が夢。中学校になると、「世界を股に掛けることがしたい」が夢でした。
小学校六年で「基礎英語」を聞き始め、語学というか言葉が好きになった。当時、明石 康氏が国連で活躍を始め、岩波新書で「国際連合」を書かれたこともあって、世界を股に掛ける仕事をしたいと思っていました。


昭和42年 近所のお友達と
::前列左端::(写真提供:古川 工氏)
父親の佐賀転勤のため転校
大成小学校ともお別れ
(写真提供:古川 工氏)
「新渡戸 稲造のファン」

尊敬する人は誰?

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)さんが好きです。
日本をきちんとした形で外に紹介し、自分もアメリカ人女性と結婚して、米国との太平洋の架け橋になっています。
日本を軸足にして、我が国のことを世界中の人にわかってもらおうとしたことに、共感できます。
よその地域やよその国と関係が深まれば深まるほど、自分たちの地域のこと、自分たちの国のことを理解することが大切だと思います。
改めて新渡戸 稲造先生に学ぶ時代がきているんじゃないでしょうか。
政治家では、原 敬が好きです。 

座右の銘は何でしょう

「一隅を照らす」という言葉が好きです。
自治省に初めて入ったときの研修で、最初にこの言葉を習いました。自分がここで頑張っていれば、16人の仲間もよその県で頑張っている。周りのことを気にせず、とにかく自分がやるべき仕事をきちんとしなさい。
それが、自治省の人間のやるべき仕事だと説明されて、非常にl気に入りました。

12年ぶりの選挙は6人の候補者がせめぎあい、誰を選べばよいのかさっぱり見当がつきませんでした。
それなら、立候補予定者の方にアンケート調査を依頼して、相違点を見つけよう。−−−−−そんな思いから「希望を持って住みたくなる佐賀県づくりの会」ができたのです。そのとき、はじめて奥様にお目にかかりました。
 「アンケートのお願いに参りました。6候補者の方のシンポジウムも予定しております」と言いますと、『私どもは知名度がありません。皆様方がそのような場所を作ってくださることが一番嬉しいです』とおっしゃいました。
その言葉に、ご婦人の人柄がよく伝わりました。


NHKラジオが決め手

奥様との結婚を決意された決め手は何でしたか?

結婚の決め手、キーワードは「NHKラジオ」でした。

−−−−−え?え?テレビではなくってラジオなのですか?


そうです。彼女は私よりも少しだけ、人生を長く生きてますけれども、当時NHKのラジオをよく聴く女の子って珍しいですよね。話をしていても真面目そうな感じだった。他にも互いに候補者がいますよね。その中から、最後にどうしても「えいやっ」ってのりこえる部分がありますね。それが「NHKラジオ」だったということです。
それが最後の90%を100%にするための10%だとしたら、あとの大きな部分は、まあ一生懸命そうだったということですね。

古川知事にとって家族とは?

少なくとも経済学的には説明のできない存在。
社会学的に存在していて、まあ無償のもの、宝のようなものでしょうね。

知事の仕事は肉体労働? 健康維持のために取り組んでいることは

健康法は、「人に言われたことは、まずとりあえずやってみる」。
「こういうものを飲め」だとか「食え」だとか。運動はしません。ただ、知事の仕事は、すごくよく動くんですよ。
そのこと自体は、前の役人生活よりは、はるかに良くなっていると思います。
 自分で一番ストレス解消になっているのが、「今度休みが取れたら何をしようかな」って考えることですね。

冷房は苦手

インタビューの日、話すたびに咳き込まれたので、もしやお風邪では、と心配しました。「ぼくは冷房が苦手なんです」とおっしゃいました。


生き急いでいます

将来(老後)の楽しみと不安は何ですか
楽しみは、世界中を旅して周ることです。私は自分の歳の数だけ外国に行くのを目標にしているんですよ。
今、44歳で行った国の数は26ですから、まだまだなんですけどね。
それから、不安は、死ぬことですね。
何か大急ぎで人生をやってきているんで、大急ぎで終わるんじゃないかというところが不安ですかね。

迷ったら厳しい道を

知事選出馬の動機は何だったでしょうか

きっかけは人からの勧めですけれど、最終的に知事選に、「出よう」と決めたのは、「迷ったときには難しい道を選びなさい」という人がいたからです。
私は、「いつか佐賀に帰ってきて佐賀で暮らしたい」、佐賀県のために仕事をしたいと考えていました。
それは、義務教育を地元のお金で受けさせてもらった後、多くの人が社会人となって県外に出ていきます。
これを行政単位でみると、投資をしたものの、成果は地域に返ってこないということになるんです。
我が国の歴史は、一生懸命地域で育てた人材を、中央に供給し続けることによって、国が発展してきたということがあって、それを百数十年続けてきて、いささか疲れが見えていると思っていたんですよ。
だから、少しでも状況を変えたいと思っているのならば、自分自身が、ある一定のときに佐賀県に帰らないと。
今回は佐賀県全体のかじ取りを4年間させていただくという機会でしたから、自分自身の人生を賭けるいい機会だと思ったのです。

知事就任後、嬉しかったこと

丸裸の身になって選挙をやっていくときに、人の支援やサポートがものすごく嬉しいのです。そのことを、身をもって体験するのが選挙です。
「頑張らんばよ」とか「ちっと休まんばばい」とか声をかけていただくのが、非常に嬉しいです。

佐賀のほめ方きめましょう

佐賀をどのようにアピールされますか

これだけ歴史も伝統も、重みもあり内容もある地域なので、堂々と勝負していきたいと思っています。
びっくりしたのは「県政に望む」の三番目くらいに「県のイメージアップ」がでてきたことです。だから、佐賀のほめ方を皆で決めてやればいいんじゃないかと思うんです。
長崎は「カステラ」とか「チャンポン」、熊本には「阿蘇山」があるでしょう。
そういう意味で、「佐賀といえばこれよね」という、訊かれたときに「こういうルールにしてしまおう」とすれば、それが結構大きな力になるんじゃないかと思います。

お忙しい中、どうもありがとうございました。

離れて暮らす康少年をいとおしむ、母親である妻のはちきれそうな想いを、少し距離をおいてほほえましく見守っている父親 古川 工氏の作品です。
(昭和51年9月作)