| 株式会社エンターブレイン サッカーJ+ vol.2に掲載 | |
| 広がる夢、サガン鳥栖とともに | |
| 古川康佐賀県知事インタビュー | |
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――全国に30のJクラブが存在し、そのうちのひとつが佐賀県にもあります。佐賀県にとって、サガン鳥栖はどういう存在なのでしょうか。 「夢のシンボルだと思いますね。サッカーって路地裏から世界につながっているじゃないですか。その一直線の流れの中で、少し溜まるところというのがいろんなレベルのクラブだと思うんですけれど、自分たちがやっていることというのが、そのまま世界につながるんだ、自分はサッカーはできないけれど、自分はこの選手ほどうまくはないけれど、いっしょに追いかけられる、そういう舞台だと思いますね。まさに夢のかけらみたいなものじゃないでしょうか。それぞれの人たちが持っている夢の。 サッカーには、いろんな形で関わっている方がたくさんいらっしゃいますよね。でも一番多いのは、多分、サッカーを楽しんでいる人たちだと思うんです。みんなで楽しめば、みんなで楽しみを共有できる。他の人ともサッカーの話で盛り上がることができる。それは、言葉の通じない世界の人たちともボールが1個あればコミュニケーションがとれるということだと思うんですよね。 私は以前長崎県にいたんですが、その長崎県で是非Jのクラブを作りたかったんですよ。小嶺監督がいらっしゃいますし、なんとか長崎県に『Jを目指すクラブが欲しいね』と話をしていました。そういうとき、すごく佐賀県がうらやましかったんですよ。『佐賀はいいよね、サガン鳥栖があって』ということだったんですね。まあ、JFLまでは何とかがんばれば行けるんですけれど、J2へはなかなか行けるもんじゃないわけです。とにかくJ2に行くクラブを作ろうと悪戦苦闘している身からすると、すごくうらやましく思ったんです。当時は知事になるとは思っていませんでしたけれど、自分がこういう立場になることを目指して活動を始めたときには、サガン鳥栖を佐賀県の誇るべき財産として、もっと、もっと、みんなの共有財産みたいにしたいなと思っていました」 ――昨年、県が後押しされて、サガン鳥栖は新たな道へのスタートを切ったわけですが、後押しを始めるときのきっかけというか、動き出しというものは、非常に難しかったんじゃないでしょうか。 「かつてフューチャーズ時代に県もお金を出した、いろんな財界人の方もお金を出したのに、それが結局はなくなってしまったという、フューチャーズの時の呪縛というのが今も残っているんです。色濃く。県民の方たちも覚えておられるんですね。ですから、いきなりお金を出して支援するというのは無理だと思ったんです。それでサガン鳥栖をもっと正面に持ってきて、プロのチームがあるということが、我が県にとっていかに意味のあることかということ、誇りにつながっていくかということを、とにかく理解してもらおうと思いました。 そのために、佐賀県にプロサッカーのチームがあることがいかに意味があり、かつ、それを運営していくことが佐賀県としてプラスになるんだという理屈づけをして、県の中に佐賀県プロサッカー振興協議会というものを作ったんです。プロサッカーの振興は県政の仕事なんだという位置づけにしたんです。それをすることによって、実質的なマネジメントをやっていた金崎という副本部長級の人間と、サッカーが大好きで仕方がない原という2人が動くようになったんですね。 原はもともとサガン鳥栖のサポーターだったんです。『これ仕事でやっていいんですか』というのが彼の第一声だったんです。ですから、『仕事としてやってくれ。思い切りやってくれ。そのかわりちゃんと答えを出してね』と。あなたがミスターサガンになってくれと。言い方は悪いんですが、常人には理解できないくらいの熱意を持ってやっていかないと人は動かない。けれど、それだけの無心の動きをすれば必ず人は動いてくれるということを彼には言ったんですね。 同じようなことを責任者である金崎にも伝えて、彼も非常に一生懸命よくやってくれました。実はサガン鳥栖はJAが出資していまして、これは彼が昔JAに関係する部署に勤務していたことがあるということだけで、佐賀県のJAに頼みに行ったんですね。『あんた、なんでそがんサッカーばっかに一所懸命になるね?』と言われたんですが、とにかくこれはすごいんですと。サッカーはサッカーだけのものじゃないということを必死に話して、最終的には『あんたの熱意に負けた』となったんです。もちろん、若い人たちにJAがいろんなものを提案していくためのツールになるということを理解してもらってのことですが、やはり熱意を持って語れば人は動くということを感じましたね。 また、当時、金崎は映像文化を佐賀県の産業にしようという『アジアのハリウッド構想』の責任者でもあったんです。それで井川社長が当時勤務していた場所に、その件で相談に行ったところ、社長室にアルビレックスのポスターが貼ってあるのに気づいたんです。それで理由を尋ねたところ、井川社長はサッカー少年でアルビレックスの手伝いも少ししているんだということが分かりました。『井川さん、鳥栖の手伝いをやってくださいよ』と言ったところ、笑いながらも決して否定はしなかったというのがスタートだったんです。 なにか人に会うごとにサガン鳥栖の話をする、気づいたら言う、そんなことを地道にやっていたからこそ、井川社長という人にめぐり会えたと思うんです。実は今日、地元のお昼のニュースに井川社長が出られていたんですよ。総務省がやっている『1日行政相談所』の1日相談所長です。これは井川社長自身も地域に溶け込もうとし、地域の行政側も井川社長を地域のクラブの経営者として認めているからこそのことで、非常に嬉しいことでした。 自治体というのは地域から逃げられないわけです。逃げられないから何かをやりっぱなしにすることは出来ないわけなんです。それと同じような気持ちで、井川社長は地域における存在としてサガン鳥栖から逃げられないんだと。地域の人からきちんと認められるためには、1年、2年をどうするかというだけじゃなくて、やはりじっくりと地域に腰を落ち着けることが必要だと思ってくださっていることが大変嬉しいと思っています」 ――そんなサガン鳥栖が佐賀県に与える影響、あるいはこれからの可能性という意味では、どのようなことを期待されていますか。 「若い人たちの憧れの的になってほしいと思いますね。佐賀新聞に佐賀県内の小学生の学級写真が掲載され、そこに子供たちが夢を書くコーナーがあるのですが、今年に入ってから、サッカー選手になってサガン鳥栖に入りたいとか、サガン鳥栖で活躍したいという子供が載るようになったんです。私の記憶では去年はありませんでした。やはり、こうやって子供にとってもサガン鳥栖は身近な存在になってきているということだと思いますね。 居酒屋でサガン鳥栖、バスの中でもサガン鳥栖、心の中にサガン鳥栖、挨拶代わりにサガン鳥栖、みたいなね。とにかく月曜日に会ったら、『先週末のサガン鳥栖の結果は』と、わざわざ言わなくても自然と話になって、みんなで勝った、負けたと話すのは楽しいじゃないですか。みんなで思いを共有できるというのは何にも変えられない贅沢だと思うんですね。そういうふうになれる可能性が十分にあると思っているんです。 鳥栖市は佐賀県の東なので、佐賀市民の関心だとか、もっと西のほうの関心をどうもっていくかということは大変です。ですから、各地域の人たちに来てもらえるプロジェクトもやっていますし、送迎バスを最寄り駅まで出せないかとか、地域のイベントそのものを鳥栖スタジアムで開けば、お客さん自体は何千人も来ているんだから、非常にローコストで宣伝効果があるので、そんな媒体に使えませんかとか、いろんな提案があるんですよ。これは井川社長ならではなんです。 これは、私たち行政がやっているんじゃ思いつきませんでした。そういう、上場企業を作るような方ならではの発想で地域を巻き込むことができると思うし、私たちも一緒になってやっていきたいと思うんですね。お互いにあんまり依存しないほうがいいと思うんですけれど、お互いに期待しながら、しかもやるべきことを100%じゃなくて、108%くらいやることによって、佐賀県民から、佐賀県がこんなにサガン鳥栖を応援するのも、むべなるかなと理解が得られていくんじゃないかなと思います」 ――佐賀県でJリーグの運営が成功を収めるということは、全国的に見ても意義があることですし、各地域にとって非常に励みになると思います。 「その通りだと思います。大きな企業がいきなりバックアップするのではない。地域の企業や小さなところが応援し続けている。我々も応援はしますけれど、いきなりがばっと資金援助をするようなことはしません。そういうことじゃなくて、とにかくサポーターを広げていく。地域に根づくような支援をすることによって、サガン鳥栖を盛り上げたいと思っています。 行政が金を出し始めると麻薬みたいになりますし、うまく回っていたものが、行政が金を出した瞬間にうまくいかなくなる例をいろんな場面で見ているものですから。そうではない支援で、しかし逃げも隠れもしない、それは私たちの目から見た代表チームなんだ、代表クラブなんだという意識を持っていくことが成功すれば、それは、どこでもできるよということだと思うんです。 大きな企業がないとできないとか、人口が何十万人もいないとできないとか、そういうことじゃないんだよと。少なくともJという名前のつくところに行けるというのは、みんなできちんと盛り上がって支援していけばできるんだと。私は、これはJリーグ百年構想という観点から見た場合にも非常に大きな意味のある一歩になるんじゃないかなと思っているんですけれどね」 ――平均入場者数が8000人を超え、チームも好調な戦いぶりを見せています。このあたりは、どのように見ていらっしゃいますか。 「もうハラハラするんですよ。勝っても、負けても、これほどまでに楽しめるものかと思いますね。私の計算では、あとは負けないはずなんですね。悪くても引き分けしかないんじゃないかと思っているんです。昨シーズンは、どことやっても勝てる気がしませんでしたけれど、いまはどことやっても負けはないんじゃないかと。 チャンスは残されているので、これからも勝ち進んでほしいと思っています。2位でJ1に行くのは面白くないです、自動昇格ですから。一番面白いのは3位で入れ替え戦を戦うこと。一番盛り上がるんですよ(笑)。ですから、一番いい舞台を、今サガン鳥栖は作りつつあるということを私は予言していた、と是非、書いてほしいと思います(笑)。 それと、一時期かなり多かった観客動員が、ここのところ6000人くらいになっているんで、今年の秋の総仕上げみたいなことを取り組みたいと思っています。とにかく、みんなで鳥栖スタジアムに足を運ぼうよということで、いろんな呼びかけをして、最終戦では開幕戦の13000人を上回るような形でシーズンを終えられればと思うし、それで終わらずに新しい舞台なり、戦いなりが待っていればいいなと思います」 ――最後になりますが、サガン鳥栖にはどんなチームになってもらいたいですか。 「イコール佐賀県になってほしいなと思いますね。佐賀県そのもののイメージ、存在であってほしいと思います。お茶請け代わりにサガン鳥栖の話題がでてくるような。それと、何度も言いますけれど、サッカーが楽しいなと思う理由のひとつは世界につながっていることだと思います。 この前、ブラジルの県人会の設立50周年に行って、佐賀県出身の二世の方にお会いしました。その方はコリンチャンスの評議委員をされていましたが、日系の方でクラブの評議委員になられるのは初めてのことなんですね。サガン鳥栖のことで応援できることがあればやるよみたいな話もしてくださいましたが、どの国に行ってもサッカーの話でお互いに会話ができるというのは大きいと思うし、これからの世界の中でどう生きていくかという時に、そういう経験を持っているというのは世界に通じる人材を作っていくことにさえなると思っているんですね。 ですから、サガン鳥栖に「人づくり、まちづくり、夢づくり」という経営理念をこれからも守っていってほしいと思うし、我々も、是非、そういう期待に応えていきたいなと思います。九州五輪が実現すれば、我が鳥栖スタジアムは非常にいいスタジアムなので、また新たなステージになると思います。それに、私は世界ユースくらいならできるんじゃないのって言っているんですけどね。オリンピックはどうなるか分かりませんけれど、いつの日か、世界ユースくらいは鳥栖スタジアムでできるようにならないかなと思っています。これからも、夢を見ながらやっていきたいと思います」 (2005.10.21 佐賀県庁にて) |