月刊ガバナンス 平成16年12月号掲載
〜ローカルマニフェストの展望〜
マニフェストの導入で地域は 確実に変わっていく
――古川康・佐賀県知事に聞く

古川知事は昨春の知事選で「県民への政策宣言」と題したマニフェストを公表、初当選を果たした。 それから1年半余り。強力なリーダーシップを発揮して マニフェストの実現、県政改革に取り組んでいる古川知事に、マニフェスト導入の成果と課題などについて聞いた。






私の「約束」として示す
――まず昨春の知事選でマニフェストを作成したきっかけは?  
端的に言えば、北川正恭・前三重県知事に作成を勧められたからです。私は総務省を辞めたばかりで、選挙に出るのは初めて。時間がない中で、マニフェストを作成できるかどうか不安もあったが、私自身、政治家の選挙の時の言葉は信用されていないなと感じていた。20年間以上役人生活を送り、自分なりにやりたいことがあるから立候補したという思いがあったので、なおさらマニフェストをつくってみたいと思ったのです。

――作成方法は?  
ブレーンとなってくれた人物と2人で作成した。最初に決めたのが県政運営の柱。これからの県政は情報公開が何をやるにも前提になる。さらに、佐賀県に住み続けたいと思いながらも、仕事や職場がないため、県外へ行かざるを得ない人たちをたくさん見てきたので、雇用問題を柱にして、「オープンさが」「モノ言うさが」などのキャッチフレーズを決めていった。  
それだけではマニフェストにならないので、役人時代の知人や佐賀県に詳しい友人などからも意見を聞いた。さらに、佐賀県の総合計画を読み、自分がやれば計画を前倒しできたり、数値を上げられると思った政策を拾い上げていった。総合計画の数値をそのまま書いたのでは私の「約束」にはならない。自分はここに力を入れていくと、数値目標を県民に示すことが必要だと思った。

役人的な表現は無意味
――数値目標をスムーズに書けましたか。  
いや苦労した。「元気で潤いのあるまちをつくります」といった抽象的な表現ならいくらでも書けるが、マニフェストは後々「できたのかどうか通信簿をつけるよ」と言われるものなので、いい加減には書けない。結局、「これはやれる」「これはやらなくてはいけない」という政策に限定して数値目標を出した。  
役人的に許されるだろうと思った表現は無意味だった。たとえばマニフェストで「1万人規模の新規雇用の創出を目指す」と書いた。役人的には9500人でも1万人規模なんですね。あまり自信がなかったので、「1万人規模」と書いたが、マニフェストが外に出ていくと、そんな役人風の恁、ぎ澄まされたものの言い方揩ヘ通用しない(笑い)。政治の世界では「1万人分の雇用をつくる」としかならない。「情報公開度全国ナンバーワンを目指す」もそうです。ある後輩が「一番は無理かもしれないけど、ナンバーワンというのは、ある意味上位グループの形容詞みたいなものだから」というので、「なるほど」と思って書いたが、県民の受け止めはすべて「全国1位を目指す」となる(笑い)。  
マニフェストは動き出したら、自分のものではなく、県民みんなのものになる。作ったのは自分だけど、受け止めるのは県民ですから。

――その意味では怖いですね。  
怖いですよ。それと、岩手県の増田寛也知事も話していますが、私も選挙で掲げたマニフェストはいくら財政状況などが大きく変わったとしても修正すべきではないと思っている。直したならば4年後に評価がしにくくなるからです。事情が変わったためにできなくても、それは評価する側が判断すればいい。マニフェストは、選挙の際に約束したこと。その重さを考えれば、どんなことがあっても変えてはいけない。だからこそ、言葉が重くなる。

――財源の明記については?  
これは非常に悩んだ。増田知事の場合は、2期務める中で公共事業費30%削減ができると恐らく思われたのではないか。ところが私のように新人で、しかも佐賀県庁での勤務経験もないとムダな部分は分からなかった。何か事業を止めたり、減らしたりする部分の踏み込みが足らなかったことは率直に認める。その代わり、中期財政収支見通しや経常収支比率、基金の状況など公表している数字、それと私自身が他の県で取り組んできた行革などから判断して「100億円程度の財源」を捻出できると判断したのです。

できるだけ早く県の政策に
――知事当選後の職員の反応は?  
岩手県では職員がすぐに改革案を持ってきたそうだが、こちらは全く正反対。みんな「マニフェストと言っても、しょせんは選挙の時の道具」という感じだった。ある職員から「マニフェストの中のいくつをやるのですか」という問いがあった。「実行する約束をして当選したのだから、当然、全部やる。それがマニフェストだ」といった議論から始まった。  
マニフェストは候補者個人の約束事に過ぎない。これをできるだけ早く県の政策にしなければいけないと強く思っていた。そこで、5月に政策検討会議を立ち上げ、担当課を決め、担当部局の職員とのマニフェスト検討会で何度となく議論して、6月には「重点実施項目」としてまとめた。県の政策にしたのだけは他のマニフェストを掲げた知事よりも早かった(笑い)。

――「政策検討会議」の最初の会合(昨年5月12日)では、マニフェストに対する疑問も部長から出ていましたね。  
あの時点では職員にもまだ疑問があった思う。6月議会でも議員から「県政は総合的に進めていかなければならないのに、短期間に、ごく少数のスタッフでつくった約束で県政を運営していいのか」といった質問をかなりいただいた。その指摘はある意味で当たっていると思う。そこは謙虚に受け止めるが、私はマニフェストに掲げた政策のうち、県政としてやらなくていいものがあるとは思わない。もちろん、踏み込みが浅い部分はあるし、書いていないことでもやるべき政策はたくさんある。しかし、選挙で約束したことについては、誠心誠意取り組み、仮にやらなかったりできなかったりしたならば、その理由を県民に説明する責任が生じてくると思っている。

――マニフェストを具体化する計画はあえて県政になじむ名称にしたとか。  
そうです。マニフェストでさえみんな驚いているのに、さらに「アクションプラン」など目立つものでは、職員は言いたくなくなるのではないかと思った。要するに、県政で必ず取り組まなければいけないという意識を持ってもらうためには、むしろ行政的な堅い名称のほうが実を取れると判断して「重点実施項目」としたのです。

――マニフェストと総合計画の関係は?  
自治体の総合計画は、ある意味で、すべて含まれることを最大の目標として作られているものが多い。私もいくつかの県で策定に携わったので、職員のその気持ちはよく分かる。マニフェストを具体の政策にして実行していくだけでも大変なのに、総合計画変更の負荷をかけたら、物理的に職員はできないと思った。だから私は最初から、総合計画はあまりいじりたくなかった。ただし、総合計画とマニフェストとの整合性がとれるのかどうかのチェックはしてもらった。その結果、すべてにわたって関係性を説明できたので「総合計画を補完するもの」という位置づけにしたのです。

マニフェストがあれば 「迷わない」
――今年4月には本部制など大幅な組織改正を行いましたね。  
昨年9月には組織を改正しようと考えていた。当時、私の頭の中にあったのは、まず総務部をなくすこと。総務部支配の県政が、結局は国追随の県政を生む。県民本位の県政を行うには、県政の方向性・方針を示す部門が一番上にあり、その次に事業の各部門があり、予算や人員配置をする部局は、各部局の仕事をサポートするためにあるので総務部門を一番下に持っていくことを決めていた。

――政策実行や組織改正のスピーディーさも、マニフェストの効果ですか。  
そうです。なぜなら迷わない。やるべきかどうかの議論をするときに、「やると書いてあるからやろう」となる。迷いがないのは非常に楽。項目によっては、到達目標まで書いてあるわけですから。  
一方で、「アジアのハリウッド構想」などうまくいっていないものもある。公務員は、根の生えている部分に水や肥料をやり、これまでとは異なる花を咲かせたり、接ぎ木をしていくことは上手だが、全くのゼロからつくっていくのは不得手です。でも諦めてはいない。

――今年4月には各本部長・部長が実行宣言を行っている。マニフェストと人事評価の関係は?  
最終的には「やります」と宣言したことを達成してもらったのかどうかを評価することで透明性も高まるし、フェアだと思う。ただ、数字至上主義、成果万能主義では、県庁は動かない。  
民間企業の例も参考にしつつ、給与への直接の反映にはまだ「待った」をかけている。まず、きちんとした評価システムを作り上げることに専念する。そのため360度評価やコンピテンシーモデルも検討している。それらによって、客観的に評価ができる仕組みを作っていくことが必要です。  
また、公務員のキャリア形成で、複線的なルートをつくっていきたい。誰もが三役や部長になれるわけではない。自分の能力に向いている道を歩んでもらうようにすることによって、職員の満足度も高まるのではないか。それが、ひいては県民の満足度向上にもつながっていく。

職員の誇りが さらなる成果に
――知事就任から1年半余りだが、当初の予想よりも改革は進んだと感じていますか。  
マニフェストの達成度合いは、もっと頑張っていかなければいけないが、佐賀県の存在感を示していこうといろいろ取り組んでいることもあり、予想以上の成果が出ていると思っている。職員と話をすると、以前は佐賀県から他県に問い合わせていたが、最近は逆に「佐賀県はどういうことをしていますか」と尋ねられるという。他県が佐賀県のまねをしている話を聞くと、自分たちの取り組みは間違いないと確信し、誇りになるという話を聞いて私は嬉しかったですね。多くの職員が誇りを持って取り組めば、もっと大きな成果を生むことにつながると考えている。

――マニフェストの推進について現時点での課題は?  
さらなる推進力が得られるかどうかですね。来年は3年目になり、ある意味で中だるみ状態になる可能性がある。きちんとフォローできるかどうかが課題です。

――市町村合併に伴い、来春は多くの首長選が行われる。マニフェストを掲げようと考えている候補者へのアドバイスを。  
やろうと思えば必ずマニフェストは作成できる。最初はまねから始めた怎}ネフェスト揩ナいい。どんなものであっても、当選したならばきちんとやっていくという誠実な気持ちと、若干の数値的なものがあれば、それをマニフェストと呼んでもいいと思う。ぜひ候補者はマニフェストを作成してほしい。そうすることで、地域は確実に変わっていく。

ふるかわ・やすし 
1958年佐賀県生まれ。東京大学法学部卒業後、自治省(現総務省)入省。岡山県財政課長、自治大臣秘書官、長崎県商工労働部長・同総務部長などを経て、2003年4月の佐賀県知事選に出馬、マニフェストを掲げて初当選を果たす。


(インタビュー・構成/本誌・千葉茂明)