コカ・コーラウエストジャパングループ社内報 April 2004 12 掲載
SPECIAL INTERVIEW スペシャルインタビュー  佐賀県知事 古川 康 氏

いつかは自分の生まれ育った佐賀県に恩返しをしたいとずっと思っていました。


インタビュアー
CCWJ 佐賀長崎営業部 姫野 孝部長

県知事を目指されたきっかけについて、お話いただけますか?

20数年にわたって色々な県で仕事をして来ましたが、いつかは自分の生まれ育った佐賀県に恩返しをしたいとずっと思っていました。リタイアしてから自分の故郷に帰ってくる人生を選択される方もおられるけれども、私は現役世代のうちに佐賀県に帰ってくると決めていました。私は佐賀県民や唐津・佐賀市民の税金で教育を受けましたから、その成果をよその県でだけ発揮して、稼せがなくなってから戻って来るのでは、自分として、ふるさとへの恩返しが全然できないなぁと思っていたんです。もともと自治省に入ろうと思ったのも、色々な地域を元気にするような仕事がしたかったからなのです。そういった思いから、いつかは佐賀に帰って来ると心に決めていたところ、たまたま井本前知事が出馬されず、あわせて色々な方のお誘いもあり、県知事というのが選択肢として突如出てきました。

最後に決断した理由は、これまで自分ができたこと、動けたことが、この10年の間でさえ自分の思いに比べて身体が追いついていかなくなっていて、それが10年後20年後となった時には、色々な知識や経験が増え、円熟味は増すかもしれないが、行動力はついていかなくなるだろうと思ったんです。

おそらく今の地域のリーダーに求められることは、円熟味ということよりも、もっともっと動いていくことだと思いました。私は平均寿命でいくと、あと40年くらい生きるはずです。死ぬ時までに佐賀県がどうなっていくのだろうか、ということについて、自分のこととして、非常に関心があります。きちんと先々のことまで責任を持っていける世代の人間が舵取りをしていくということは、これからの佐賀県にとって意味のあることではないかと自分なりに判断しました。


県政にあたり、県知事として最も留意されている点はどのようなことでしょうか?

「100%努力する」ということです。多くの候補者の中から、私が4年間県政を担当するトップとして県民の方に選んでいただいていますので、その期待に応えるよう真正面から向かっていきたい、そういうことをいつも考えています。


お忙しいスケジュールの中、「知事とかたろうかい」では各市町村で県民の方と直接対話をされていますが、その中で印象深かったのはどのようなことでしょうか?

印象深いこととして残っているのは、今でも宿題になっているのですが、自閉症の子どもが入ってきたという幼稚園の先生のお話でした。県が、緊急雇用の対策交付金を使って、障害を持つ子どもが幼稚園に入ってきた時には先生を一人増員してもいい、というふうな制度(加配といいます)を作りました。その先生は「自閉症の子どもが入ってきたんだけれども、そういう制度があったので、一人加配することによって子どもの対応をすることができた。この制度は平成16年度までとなっているけれども、自閉症の子どもを幼稚園に通わせていくためには、今後このような制度が必要なのではないか」ということを言われました。これは財政的な事情などからまだ実現できていないんですけれども、今後、私にとって課せられた宿題だと思っています。

そういうナマの声、ライブな話を聞くことができるということが、「かたろうかい」のいいところだと思います。


佐賀県で実施している佐賀県県民意見提出手続(パブリック・コメント手続)制度とはどのようなものですか?

これは、何か大きな計画を作ったりするときに県民の方々にご意見をうかがうことを制度化したものです。「聴くというプロセス」のためにやるのではなくて、実際にパブリック・コメントで出された意見の中で、なるほど、というものについて、どう反映させるかが重要だといつも訴えています。

例えば「新しい佐賀の森林づくりビジョン」を作るときにも、パブリック・コメントの中に「今後の県民意識は、レクリェーション、芸術文化活動の場など、量や金銭で図ることができない森林文化への志向が強まるのではないか」というものがあり、確かに「森林文化」は次の世代にも引き継ぐべき重要なものであると考えて、ビジョンの中に「森林文化」という表現と考え方を加えました。


ベース漫談芸人のはなわさんの歌「佐賀県」の大ヒットにより、昨年から佐賀県が大変注目されていますが、県知事というお立場で何か印象的なエピソードはありますか?

やはり一番印象的なのは、「いのちの電話」の件です。自分で命を絶とうと思っている人が相談する電話が全国にあります。ある町に行った時に、公民館の前に女性の方が立っておられたんです。そして「知事さんにお話したいことがある」と言われました。その話というのは、「私はいのちの電話のスタッフなんですが、ある電話が東北地方からかかってきました。“生きる元気を失っているんだけれども、今、日本で一番元気な佐賀の人から元気を分けてもらおうと思った”と言われました。これも、はなわさんの歌がヒットした時に、知事さんが一緒に盛り上げてくれたからです、と一言お礼が言いたくて。」とおっしゃってくださって、私も非常にうれしく思いました。

実は私が知事になって、初めての県議会での初めての質問が「はなわさんに感謝状を出そう」というものだったのです。これが私の知事人生を方向づけているんだと思うんですけど(笑)。余談ですが、昨年末には、「紅白に出るのか?」とものすごく聞かれたので、ひょっとして、と思ってスケジュールも空けておいたんですよ(笑)。感謝状は、「子供が転校先でいじめられた。何であんなひどい歌を応援するんだ。」という電話があったりしたので止めたのですが、その一方で「普通の子供だったのに、あのSAGAから来たんだってことで、転校先で英雄になった。」という電話もありました。
 全国の大きな会議で挨拶された方が「エスエージーエー(SAGA)佐賀から来ました」といって大ウケをしたという話もありましたし、バイオリニストの矢部達哉さんのコンサートが佐賀で開催された時には「今話題の佐賀に来れてうれしいです」とおっしゃっていました。

20年前、NHKの大ヒットドラマ「おしん」で、主人公のおしんをいじめるお姑さんが佐賀県の出身だということで、NHKに抗議しようという話が県内的に盛り上がったんです。はなわさんの「佐賀県」の歌は、正面から佐賀県を誉めている歌ではないので、けしからんと言う人もいるわけですが、そういった人たちは非常に少なかったんです。20年前に、けしからんと支配的だったのに比べると、随分と佐賀県民自体が大きく変わって、笑い飛ばす余裕が出てきました。はなわブームは、県民みんなが佐賀県のことを話すいいきっかけになりました。


青少年の健全育成についてはどのようにお考えですか?

とにもかくにも、青少年が健全に育つ環境をどうつくっていくかが大事だと思います。

もちろん市村自然塾に期待するところも大きいわけですけれども、実際に市村自然塾で行なわれているような基本理念やねらいをいかに広げていくことではないかと思っています。

佐賀県でもこの4月から「オンリーワンのさが体験活動支援事業」と銘打って、佐賀県に生まれ育った人間として、佐賀県について必要な最低限の知識や体験をしてもらおうということで、プログラムをつくってそれを実行していくことにしています。佐賀県に生まれ育てば、例えば焼き物のことはある程度わかる、農業のことはある程度わかる、そういうふうに佐賀県で生まれたからできる、佐賀県でしかできないこと、そういうふうなことを少しでも多く経験させていくことによって、佐賀っ子に誇りを持たせたいと考えているところです。

「青少年の健全育成」とかけて前期の「フジテレビの視聴率担当」ととく。そのココロは ・・・ 「プライド」が大事。
失礼しました。


健康維持のために取組んでいらっしゃることはありますか?

疲れた時にコカ・コーラを飲むようにしています(笑)!
まずフィジカルな面でいうと、選挙の時ってものすごく痩せるんですよ。それが今では急速に体重が増えて、生まれてこの方経験したことのない体重になったんです。コレステロールなどは「人生を損うような数値を示している」とお医者さんに怒られました。そして「病気の人は本当に一生懸命生きようとする。それに比べて、あなたはまだ若いのと健康なのに任せて身体を痛めつけている。病気の人から見るともったいないし、その人たちに失礼だ。」と言われました。今は油分をとらないようにしたり、お酒もできるかぎり飲まないようにしているんですけど、お酒を飲まない宴会って面白くないんですよ(笑)。
メンタルな面も大事で、物理的に忙しい日々が続くと明らかに判断力が鈍るんです。物を考えるのが嫌になる。だからメンタル面である安定の状況を保つのも大事なリーダーの仕事だと思います。もちろん人間ですから、気持ちのブレは出てくるんですが、知事の場合は一回判断したことが変わると、ものすごく手戻りになってしまうんですね。できるだけそういったことを少なくしていかないと、私は言うだけで済みますけど、言われた方はそれを“せんばいかんけん(しないといけないから)”ですね。だから、お香とか音楽とか、好きな映画を見に行ったりして気持ちを落ちつかせています。
あとは県外の、誰も私のことを知らない土地でボーっとしたり。よその県に行ったら行ったで、駅前の様子がどうなっているかなんて気になりますからね。それは勉強がてらということになりますけどね。


最後に、コカ・コーラに関する印象や思い出がございましたらお聞かせください。

観光県の長野にいた時にはよく缶拾いのキャンペーンをやっていて、拾ってきた缶の分析もしていたんです。一番数量の多いのは何だったと思います?ジョージアだったんですよ。色々な空き缶の中でですよ。どうしてジョージアなんだ、という分析をしていたら、缶ジュースや缶コーヒーを売るのはやはり自動販売機で、その台数が圧倒的に多いんですね。それで当時の長野コカ・コーラに「何とかしてくれ」という文書を出したりしました。そうしたら「ゴミ箱を寄付したりしています」という返事がありましたよ。ちなみに私はコカ・コーラが一番売れているんだと思っていたんですが、コーヒーのジョージアだったので驚きました。捨てられているゴミを見て、いかにジョージアが売れているかというのがわかりましたね。

沖縄にいた頃に、ペプシコーラのCMで目隠しをしてコカ・コーラかペプシコーラかというのを当てるという「ペプシチャレンジ」というのをやっていたので、忘年会の時にCMのように目隠しをして飲んでもらい、「どっちがコカ・コーラか、ではなく、どっちが好きかを言ってください」という企画をしたんです。それにも関わらず、全員がどっちがコカ・コーラでどっちがペプシコーラかを言うんです。しかも全員当たってるんですよ。「間違える人はいないでしょ」と言うわけ。やっぱり沖縄の人は飲み慣れていたからでしょうね。

私がいた課は選挙の準備をする部署だったので、準備作業のあと、選挙管理委員会の人たちが「ごくろうさん」と言って巻き寿司とコカ・コーラを出してくれるんです。そのコカ・コーラは、事務所の下にある喫茶店が持って来てくれるんですけど、やかんに入れて持ってくるんですよ。そしてコカ・コーラの赤い紙コップに注いで飲むんです。会議のブレイクにもコカ・コーラをよく飲んでいましたね。社会人になって一番たくさんコカ・コーラを飲んだのも沖縄でした。コカ・コーラの思い出は沖縄の思い出ということになります。


本日は、お忙しいところをありがとうございました。今後、ますますのご活躍を期待しております。