![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
|||||||||||||||||
| 「地方自治職員研修 第23巻1 通巻297号 1990 1」 | |||||||||||||||||
| 特集「地球環境と自治体」 ごくフツーの地方自治体は地球環境問題をどのように考えているのだろうか |
|||||||||||||||||
| 長野県企画課長 古川 康 | |||||||||||||||||
いきなりおことわりから入るのは恐縮だけれども、私は、行政マンとしてはこの問題を担当していない。この原稿も、日曜日に自宅で書いており、シャープペンシルだって私のもの(ただし、消しゴムは役所のモノだが)。つまり、公的立場とかなると担当もしていないのになんで書けるのかという話になってしまうのである。だから、この稿は、いわばフリーライターとして意見を言わせてもらうことにしたいと思う。 さて、長野県では、平成元年8月9日に、「地球的規模の環境問題研究会」を設置して、県として、この問題に前向きに取り組む姿勢を明らかにした。長野県には、生活環境部に環境自然保護課という課があり、ここが事務局。庁内各部の主任・主査クラスの職員がメンバーで、環境自然保護課長が座長ということになっている。 (別表参照) 地球的規模の環境問題研究会設置要綱 別表 研究会の構成
長野県は、昔から環境保全や自然保護についてはわりと重要な問題として位置づけてやってきているので、その延長線上にあるものとして考えれば、こういう研究会の設置自体は不思議なこととはいえない。また、冬季オリンピックのアルペンスキーの会場の場所をめぐっては、当初の案について自然破壊だという声が高まってきて、オリンピック招致委員会では、さっそく候補地周辺の自然環境問題について検討を始めているといった状況も、この地球環境問題へのすばやい県の対応とということと無関係ではないかもしれない。 研究会では、まず、実態を県民に知らせることと、そのことを通して県民に問題意識を持ってもらうことを目的としていて、結果として、研究成果が県の施策に反映されればよいというスタンスをとっている。 このことは、環境庁が「地方公共団体による地球環境問題に対する取り組みの例」として考えていることと、ほぼ方向は同じ。住民にとって身近な存在(この特集で、いやになるほど使われている言葉であろうが)として地方自治体が、やれることからやっていくということであろう。 ただし長野県では、今までも酸性雨の調査やフロンを使っている事業所に対する適正使用の指導事業などをやってきているが、県独自の立場として、なぜこの問題に取り組まなくてはならないのかということについては、まだ明確になっていない状態にあるといえるのではないだろうか。 かつての公害問題と地球環境問題は似ているという人もある。公害規制において、自治体が先導的な役割を果たし、国の追認という形で先駆的な意味を持っていたように、今回の問題についてもそういったことが考えられないかというのである。しかし、かつての公害問題は、公害の発生源も被害者もともに地方自治体の区域内にあるケースが多かったが、今回の問題においては、発生源、被害者とともに地域と直接深いかかわりがあるわけではない。かつての公害問題と同列に論じるわけにはゆかない。 一方、国際化と同じではないかという議論もある。本来、外交は国の事務であるが、最近、地方自治体による国際交流が盛んである。「地域の国際化に資するため」などという、どうもあいまいな概念でコトが進められているような気もするのであるが、グラスルーツの国際交流、ライオンズクラブの類のものを大きくしたものであると考えればそれなりの意味はある。とすれば、地球環境問題についても、その根幹にかかわる部分は、国や国際機関が担当することになるかもしれないが、この問題に対する関心を高めることや、また、身近な問題については自分たちで解決を図ってゆくこと等が自治体の領域分野として考えられるのではないか。 このことを裏づけるような二つの出来事が最近あった。一つは、去る11月16日に三重県で開催された中部圏知事会議のあとの座談会であり、このときのテーマの一つが「地球規模の環境悪化をどう防ぐか、自治体としての役割は何か」であったのだが、結局、「考え方はグローバル、行動は足元から」ということに落ち着いたということ、もうひとつは、その数日前にアメリカで行われていた日米知事会議における合意。ここでもやはり、日米双方の知事がそれぞれ身近な環境保全からすすめてゆこうということになっている。 ただ、ややもすれば自治体サイドからのアプローチの場合、忘れられがちなのが、生産者、例えばフロンを使っている精密機械の工場なり、南洋材を輸入している木林業者としての視点である。ただ、消費者(というより生活者といったほうがよいか)の立場だけにとどまらず、生産者と消費者との橋渡しということも視座に入れておくべきではないかと思われる。 あと、大切なものは教育であろう。最近の若者は政治に興味がないといわれ久しいが、納税者としての消費者問題や、RCサクセションやブルーハーツに代表される反原発ミュージシャンへの共感といったものを通じて、特に高校生が社会問題、とりわけ地球環境問題に大きな関心を持つようになってきている(月刊「アクロス」では彼等のことを「トーキョーチェルノブイリキッズ」と呼んでいる)。彼等の心に受け入れられやすい方法でこの問題に対する正確な理解を深めさせることを考えなくてはならない。 最後に一言。私は、「地球が危ない」的見出しや物言いが嫌いである。地球は、人類の生まれる前からあり、人類が滅びても当面は存在し続ける。いま叫ばれている「地球が危ない」というのは、正確に言えば、地球の歴史から見ればほんの一瞬の出来事でしかない人類の存在が、このままでは危なくなるということなのであって「人類が危ない」というべきなのである。 地球環境問題は奥の深い、息の長い対応の必要な問題である。「地球環境問題」が「セクシャル・ハラスメント」と並んで平成元年のキーワードであったことは間違いないであろうが、昨年だけのトピックスにならぬよう願ってやまない。 |