![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 平成4年3月「自治実務セミナー 3月号」地域リポート | |
| それいけ!!シナノジー 長野県地方課長 古川 康 | |
第一問 目をつぶってみて下さい。遠くに5つの輪が見えます。これは何でしょう。 五輪真弓だと思った人は30代。音楽好き。ただし、発想は新しいとはいえない。 せっけんだと思った人は40代。ただし、あれはミツワである。想像力は豊かであるが、やや記憶力に問題がある。 そしてオリンピックだと思ったあなた。あなたは長野県人である。 1991年6月15日(長野時間6月16日)、イギリス・バーミンガムのIOC総会において、1998年の冬季五輪の開催地が長野に決定された。サマランチ会長の「ザ・シティ・オブ・ナガノ〜」という言葉は、去年1年間くりかえしテレビや新聞で流され、あこがれの女の子からもらったラブレターのように、みんな何度もにやにや見たものだった。 開催地が決まったのは、日曜日の午前3時半だったのだが、高校野球をみんなと一緒に見たいと休日でもわざわざ出勤してくるやつがいるように、楽しいことは大勢で、という発想のもと、長野、志賀高原(正式には山ノ内町)、白馬に作られた、発表を待つ会場に行った県民は多く、長野は、善光寺の境内に三千人くらい集まっていた。境内では飲酒禁止だったがそれはかえって「じゃあ行く前に飲んでいくか」という行動を生み、境内に設けられた大画面のスクリーン近くには心からオリンピック開催を願う人々及び企業からの動員の社員たちが陣取り、後ろにいくほど不真面目な連中が多いという、大学における講義の際の席順のような姿になっていた。実はこうして集まるのは初めてではなかった。このIOC総会を独占中継していたBBCが本番の24時間前に衛星の具合をテストするためにリハーサルをやると言い出し、そして、そのリハーサルの画像はIOC委員の泊まっているホテルや会議場でも見ることができるということが判明したのである。 実際にIOC委員の目に触れるかどうかはまったくわからないがひょっとして見る人がいるかもしれない、しかも、このリハーサルは各候補都市全部の様子を映すことになっていて、ここでほかの都市に負けてはいけないということで、前日深夜、二、三百人が集まったのである。 長野以外の都市は、みんな昼か夕方だったのだが、会場(つまり長野でいえば善光寺のような会場)の準備をしている人が何人かいた程度で、それに比べると数百人が小旗をうち振っていた長野の盛り上がりは異様であった。BBCもよっぽどうれしかったのか、なんども映してくれて、身内のホームビデオのノリだった。僕の友人はこの時点ですでに勝利を確信したという。リハーサルが終わったあと、小旗は回収された。 「また明日も使いますから」というのが事務局の説明だった。週刊誌の書くところの「カネで買ったオリンピック」の実情はこんなものだったのだ。 サマランチ会長(この人はしばしばサラマンチ会長とあやまって発音されている。お子「様ランチ」と覚えるとよい)の「ザ・シティ・オブ・ナガノ」の声を聞いた瞬間、善光寺の会場が揺れた。この「ザ・シティ・オブ・ナガノ」のサマランチ会長の言い方がまた印象的だった。「ナガ〜ノ」と尻上がりに発言したのである。懸命に耳を澄ましている僕等からするとなんとなくその次に何か言おうとしているようで「ナガ〜ノデワアリマセ〜ン」となるのではないかという不安が一瞬よぎってしまった。あれはいま思えば「ナガノ ジャパン」と言おうとしたのではないだろうか。ほかの都市、つまりソルトレークシティ(アメリカ)、ハカ(スペイン)、エステルスンド(スウェーデン)、ソチ(ソ連)、アオスタ(イタリア)はいずれもイギリスの新聞では、国名をつけずに都市名だけで報道されていたが、長野だけは"Nagano Japan"と国名つきだったのである。ところがサマランチ会長が「ザ・シティ・オブ・ナガノ!」と読み上げた時点で会場が長野勢で大騒ぎになったため、「わしゃ知らんぞ」と「ジャパン」というのを止めてしまったのだ、たぶん。 そんなことはどうでもよかった。一度で勝つのは難しいといわれていただけに、あの発表を聞いたときには腰が抜けそうになった。一瞬の喜びの極致という意味では大学の合格発表よりも嬉しかった。 この際、オリンピックとは何か、明らかにしておきたい。 オリンピック憲章第一条にはこう規定されている。 第一条 オリンピック運動の目的はスポーツの基盤である肉体的・道徳的資質の発達を推進すること。 スポーツを通じ、相互理解の増進と友好の精神にのっとって若人たちを教育し、それによって より良い、より平和な世界の建設に協力すること。 世界の競技者を4年に一度のスポーツの大祭典、すなわちオリンピック競技大会に参加させ ること。 オリンピックとは平和と友好を求めるムーブメントなのである。オリンピック競技大会はそのムーブメントの一環として開催されるものであって目的そのものではない。ただし、オリンピック競技大会といっても夏と冬では意味合いが違う。 正式には夏のオリンピックは"The Olympiad Games"、冬は"Olympic Winter Games"であり、日本語でも正式にはそれぞれ「オリンピアード競技大会」、「オリンピック冬季大会」という。 この「オリンピアード」という考え方がおもしろい。オリンピアードとはオリンピアード競技大会のあとに続く4年間の期間のことをいう。だから競技大会そのものは開かれなくてもオリンピアードは進行する。 「第六回オリンピアード中止」といことになるのである。 ちなみにこれまで第六回のほか、第十二回、第十三回のオリンピアードが戦争のため中止になっている。その点、冬季五輪は違う。中止の時には回を数えない。 また、オリンピックは国同士のメダルの取り合いに終始している感はあるが、オリンピック憲章第九条には「個人やチームの間で競われるものであり、国の間で競われるものではない」とある。だから、表彰式の歌も国歌ではなく、「優勝者の代表団の歌」になっている。とまあ、招致運動のおかげでいろんなことを知ることができたことは大きい。 その陰にはいろんなエピソードがある。北アフリカのある国では招致委員会の一行が持ち込もうとした粗品(スモールギフトというやつ)が税関でひっかかった。どうも係官にいくらか渡したほうがいいらしい。日本円にして1万円くらい(現地の人の一か月分の給料)で話をつけようとしたところ、むこうは多すぎるといって半額よこすではないか。まあ、そういわずにとなんだか飲み代の清算のようなことになり、結局半額返してもらったという。 「国によっては賄賂にもおつりがあるんですね。日本の政治家も見習ってほしいです」と同行した職員は妙に憤慨していた。 サマランチ・プレス事件というのもあった。会長が来日した際、「今日、泊まることになっているホテルでプレス・ブリーフィング(記者会見)をしたいとサマランチ会長が突然言い出した」という知らせが入ったのである。IOC委員のプレス・ブリーフィングというものは人の並べ方からミネラルウォーターの指定にいたるまでやっかいなもの。それをまたなんで急にと大騒ぎしていたら、実は、会長ご所望の向きは「プレス・ブリーフィング」ではなく、「ズボンのプレスとクリーニング」だったのである。 こんな話もある。便乗商法というのはどこにでもあるが、長野県でもオリンピック開催決定前に、あるお菓子やが「五輪の○○○(特に名を秘す)」というお菓子を売り出していた。開催が決まった直後の関係者に対する挨拶回りの手土産として、これがいいではないかということで、あちこちに配ることにした。喜び勇んで原宿にあるJOCに持参したところ、JOC事務局は喜んで受け取ってくれたのだが、何の気なしにそのお菓子をひょいと裏返しにしたところ、そこにはあざやかに五輪のマーク。そう、オリンピックマークは承認なしに商業目的のために使うことは出来ないのである。かえってやぶへびになり、以後、そのお菓子からは五輪マークは姿を消している。マークの使用制限は本当に厳しくて、組織委員会の中にも「マーク専門委員会」があるほどである。だからたとえばこの原稿でも五輪のマークを使おうと思ったら組織委員会に承認申請しなくてはならず、しても許可になる可能性はほとんどない。 最後にもう一度オリンピックについて言っておきたいことがある。新聞によれば今回の長野の招致活動経費は19億円であるという。このほとんどの部分はIOC委員を長野に呼ぶための旅費である。長野は知名度が低い。しかも長野市の緯度北緯36度といえばモロッコぐらいの位置に当たる。IOC委員から長野が最も多く受けた質問が「あんなに緯度が低くて雪が降るのか」というものであった。そういう誤解をとくためにもできるだけ多くのIOC委員を長野に呼ぼうという戦略は必要であったし、また正解であったと言えると思う。そして残念なことに日本は遠い。IOC委員は各国から基本的には平等に選ばれているが、委員の多くは、日本に対してよりは欧米に対しての関係の方が深い。だから、ほかの候補都市の場合、何かのついでにIOC委員が訪問してくれるということもあるのだが、長野の場合、それはほとんど期待できなかった。しかも、IOC委員というのは中には皇族がいたり、貴族がいたりという人達である。お招きするとなればそれ相応のことをしなくてはならない。外から見ていると実に招致委員会にはカネがなかった。こうしたことを思うとき、一部のマスコミで「カネで買ったオリンピック」と揶揄されたのが実に口惜しい。 第二問 長野県と聞くとあなたはどんなことをイメージしますか。 りんご、山、善光寺、スキーといったところが代表格。 これらを挙げた人は常識人。公務員に最適である。教育県という人はいないだろうか。もしいたとしたら、その人は、歴史、風土に詳しいがいまの長野県の状態のことを良く知らない人であるといわざるをえない。 長野県は教育県であるとよくいわれるが、その歴史は古い。江戸時代末期にはすでに寺子屋の数が1,341と全国比8.6%と日本一であり、明治前期における就学率も明治9年には63.2%と全国平均の倍以上でやはり全国一になっている。しかし、これらはみんな100年以上前のこと。数学的な話でいけばいま長野県は全国でも有数の学力の低い県ということになってしまっている。 ただ、ここでいう学力とはあくまでもセンター試験の成績や某国立大学に県内から何人合格したかという、いわば受験産業でいうところのものであることを申し添えておく。 この観点からすると、長野県はセンター試験の成績は近年、毎年、全国で44、5位であり、また、現役の高校生が四年生大学に進学する率も平成2年度は12.4%で45位と、はっきりいってよくはない。この状況に危機感をいだいたのが長野県経営者協会である。このままでは、長野県の企業の人材確保が問題になるとして、特に高校生の学力を向上させるようにという提言を行い、決して学力は低くないとする教員側との間の論争が始まった。これには、県民もまっぷたつで、進学率低下の直接的な原因とされる現行の学区制の是非をめぐっては何度も県議会でも取り上げられた。 長野県においては、それ以後、県議会で一番の質問の多いのが教育委員会なのである。 新聞は書くは、テレビはNHKも民法も特別番組を組むはと大騒ぎ。 当初、県は学力問題には深入りしない姿勢を見せていたものの、執拗な追求についに学区制の見直しを含めて検討するという答弁をするに至っている。 たしかに長野県の高校生は勉強をしない。NHKの国民生活時間調査でも、学校外の勉強時間は長野県の中学生と高校生は全国で一番短く、中学生は約1時間半。トップの奈良県に比べて2時間20分短く、高校生もやはり、約1時間半。トップの京都府に比べて、1時間59分短い。 「やらないからできないのであって、やってもできないのとはわけがちがう」という妙に説得力のある議論もでてきている。その証拠には浪人生も含めると四年生大学への進学率は全国平均を上回っているのである。 また長野県の高校生は勉強しないせいか、目がいい。近視の率が全国で二番目に低いのである。 いいことと悪いことは表裏一体なのだという真理をここで垣間見ることができる。 最近、他の県でも学力低下が問題になっているようだ。佐賀県では公立学校がふがいないと実業家が私立の進学校を作ってしまうし(佐賀県でおもしろいのは、この学力論議が起きたとき、昔と比べるのにかつての「海軍兵学校卒業者本籍別人員一覧表」が用いられたことである。長野県はこういう数字は使えない)。その他、九州各県は似たような論議があるし、とくに長野県をもはや射程距離に見据えたといえる沖縄県では県立の進学校を作るなど、気合を入れている。 山形、秋田等の東北のいくつかの県でも動きがある。なぜ、学力を県単位で考えなければならないのかという声もあるが、少なくとも長野県においては、質問の数の点では、この問題はオリンピック以上に県民が関心を持っているといってよいかもしれない。 第三問 長野県で国際的なまちといえばあなたはどこを連想しますか。 軽井沢と答えた人はフツー人。ただし、軽井沢は「かるいさわ」と濁らせずに、しかもどこにもアクセントをおかずに平板に発音する、地元っぽくなってかっこいい。 あれはもともとは「かるいさわ」だったのを、白人は清音が続くとうまく発音できないため、正式名称まで「かるいざわ」にしてしまったというものなのである。 だから県内にはこのほかにも何か所か「軽井沢」という地名があるが、これらはすべて「かるいさわ」と発言する。 信濃町と答えた人は通である。ここには野尻湖のほとりに、通称、外人村と呼ばれる、古くからの別荘地があり、夏はパーティなんぞが開かれたりしている。野尻湖の水を汚さないようにと風呂なし、水洗トイレなしである。 しかし、小諸と答えた人はいただろうか。これまでの二つのまちは、いわば昭和時代の国際的なまちであったわけだが、平成はちがう。県内に住む外国人(登録人口のみ)の数は約15,000人であるが、その1/3を占める韓国・朝鮮国籍の人口がそれほど変わっていないのに比べると、昨年、第二位が中国からブラジルに変わり、三位はフィリピンになった。そしてこの数字に現れていない多くの不法残留外国人たちがいる。 小諸は外国人登録の数は282人と人口40,000人のまちとしては別にどうということはないが、このまちを歩いているとタイなど東南アジアから来た外国人の多さに驚く。 そのスジでは「コモロ」といえば有名だという。成田空港についた外国人が「コモロ、コモロ」という言葉だけをたよりに小諸まで着いたという話もあるほどである。 また、こんなこともあった。県下のある市町村にAETが来て、一年契約が切れそうになった。来年どうするか聞いたら、来年はやらないという話だったため、そのように処理しておいたところ、やっぱり来年もお願いしたいということを本人が言い出したのである。それではとその市町村の担当者が県に話をし、県は国に話をしてみたが、結局「、ダメで、そのことを本人に知らせたところ、このAETはその市町村を相手取って損害賠償を求めて訴訟を起こしたのである。結果がどうなったかはここではふれないが、いま、こうした問題を抱えている長野県の自治体は多い。 長野市の繁華街、権堂のアーケードで宝石まがいのものを売るイスラエル人が増え市内には日本語の通じないタイ料理店ができた。公衆電話に、破壊を防ぐため度数表示のガラス面の裏側には鉄板がはられ、ボックスには警告シールが目につくようになった。 一方でダイアルQ2が公衆電話からアクセスできなくなって、在日フィリピン人向けのダイヤルQ2の番組を楽しめなくなったというフィリピンの人がいる。五年前には思いもよらなかった新しい展開が出てきている。 第四問 長野県といえば自然の宝庫ですが、自然という言葉をきくとあなたは何を連想しますか。 山や川という答えも答えもあるだろうが、県内では自然=自然保護=ゴルフ場=反対=水源=条例となる。 自然保護運動はなにも長野県の専売特許ではないが、日本でこれ以上の上流県はないという県だけに自然破壊、とくに水源をめぐってゴルフ場の建設に反対するという動きが広がっている。ある町では、町が農協と組んで、病院を作ろうとしているのが気にくわないと医師会が「住民の健康を守るため」と称して、立ち木トラストに参加している。ただ、そういいながら、町が実施している各種検診を医師会がボイコットしているのは、住民の健康を守ることとどうつながりがあるのかはよくわからないところである。 とにかく、いまや、ゴルフ場と産業廃棄物の処分場は目の敵である。長野県では平成2年には水源保護条例の制定の直接請求が住民からなされたこともある。ただ、その案でいくと県土の六割近くが水源地となってしまうため否決されたがその後も、水源保護を求める県民の声は高く、県では全国で初めに水源保護のための条例案をこの二月議会に提出、市町村長の申出により水源保護区域を設定し、そこではゴルフ場や廃棄物処分場の建設を原則として認めないという方針を打ち出している。 なお、テレビ界でも長野県は自然保護団体のイメージが強いのか、NTV系土曜夜九時放送のドラマ「ひとりでいいの」は、沢口靖子勤める大手商社が、長野県内でリゾート開発を計画するが、地元住民の反対に遭うというストーリーである。長野県人としてはちょっとイヤだが、石田ゆり子がカワイイので、私は欠かさず見ている。 第五問 長野県内で歴史上、一番売れた本を知っていますか。 これじゃココロジーにならないがまあ、許していただきたい。答えは『現代信州の基礎知識 Hamidas』である。あっという間に二万部を売り、90年の年間ランキング県内堂々の第一位。かつて長野県出版界にこれほど売れた本はなかったという伝説のベストセラーである。 長野県に関するいろんなハナシを軽いタッチでまとめたこの本、著者はなんと県庁職員のグループだったのである。Hamidas効果は他県にも波及し、新潟で新潟日報の記者の手による『現代新潟の基礎的知識 Yomidas To Tamaran』、そして青森では若手県庁職員による『サービス・アメニティと地域の魅力 企画グループAMIDAS編』(これはなかなかの名著)を生み、そして岩手でもできつつあるという。 『Hamidas』の内容についてはあえていわない。ちなみに私もメンバーのひとりであるので参考まで。 |