![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 1991年10月 「地域文化」 Vol.18 | |
| 七年後のレッスン3 村山 建大 (古川 康のペンネーム) | |
何を隠そう、この村山 建大、長野県に住み始めて五年目になるのだが、最初びっくりしたのはとにかく誰かれとなく、「村山さん、信州はどうだい」と聞かれることだった。僕は「いやあ、いいとこですねえ。自然はいいし広いし」なんぞと答えていたのだが、たいていの場合、相手は「そうでしょう」と納得することはなく「いやいや村山さん、自然がいいったって今だけの話、冬は寒いしね。それに広いっても山ばっかなもんで人の住むとこはねえよ」みたいなことをのたまう。 要するになかなか「信州はいいとこだぞ」と言ってくれない。これが一度や二度ではなかったものだから、ある日、何十回目かになるその質問に対し、「いやあ、冬は寒いし、山ばっかでひでえもんだ」と答えてみた。すると、質問したその方は「そんなら出てけ」と仰せられたのであった。 地域(ふるさと)と女房(つれあい)は似ている。自分ではいろいろ悪口を言ってるくせ、人から言われると気に入らないのだ、みんな。これが僕のレッスン1だった。 信州に来てゴルフをするようになってからも驚いたことがあった。一緒に回っていると、だいたいみなさん、「あれ、きょうはドライバーがおかしいな」とか「おいおい、こんなことやってりゃ全然ダメだ」と、とにかく一打打つごとに自分のことをお嘆きになる。僕が「ナイスショット」とほめても、「いやいや、あと10センチ右に行かなきゃ本物じゃねえ」などと、とにかく今日は調子が悪いの大合唱。初心者かつ小心者の僕としては、これもすべてはビギナーの私が入ってリズムを乱したゆえんと思いつつ1ラウンド終え、おそるおそる「スコアどうでした」と聞くと、だいたい「うん、まあこんなもんだな」という返事が返ってくるのだ。一打一打は確かに調子が悪かったはずなのに、なぜトータルでは「*(注)なから」になるのか。ゴルファーとは、百回に一回でもいい当たりをすると、それが本来の自分のショットであると信じこみ、あとの九十九回を「あるべきではない姿」と規定している人のことをいうのだということがわかったことが僕のレッスン2だった。 *(注)「なから」とは信州の方言で「だいたい、おおよそ」という意味です。 そして、オリンピック。誰かに頼まれたわけじゃなく、自分たちでオリンピックを呼ぼうと決めて、一生懸命運動して、それがようやく実を結んで願い通り、1998年冬季五輪の開催が決まったのに、なぜみんな「大変だ、大変だ」と言っているのだろう。これが不思議で仕方ない。 雲仙岳の噴火や中国の洪水が大変だというのはよくわかるけど「来い来い」と言っていたオリンピックが本当に来てしまったら「大変大変」というのは「大いに変」だと思う。 恋愛している間は何でも言うことを聞いてくれたのに結婚が決まった途端、態度を変える男、または女のようでもあり「釣った魚に餌はやらない」の類のようでもある。 それともうひとつ。東京なんかにいくと満員電車に何とかのりこもうとして無理やり入ろうとする人がいる。ところがいったん自分が車内におさまってしまうと、今度は、もうこれ以上人が入らないように外に向かって押したりしている。つまり力のベクトルがそれまでとは逆方向を向くようになっている。 別荘地(でなくてもいいのだけれど)の住民が、自然保護を訴えてオリンピックとかいろんなものに反対するという話を聞くたびにこれと似たような感じを持つ。 自分たち(僕ももちろん含めて)がどこかで生活をしていること自体、地球というか日本というか地域というか別荘というか、そういう名の満員電車に入りこんでいるようなことではないだろうか。そこに自分が入ってしまえば次に入ろうとする人のことを破壊者のような言い方をするのもどうだろうかという気がしてならないのだけれど。 あともう少しだけ。オリンピックが来て、高速道路や新幹線が来ると県外の大手資本が入ってくるから地元は大変だという意見がよくあるけど、「地元」という言葉が、実は単に「おらちの商売が」というようなことが、ままあるような気がする。思い過ごしかな? 僕はオリンピックが決まってうれしい。だからいい教訓を得たいと思う。 七年後、どんなレッスン3になっているだろうか。 |