古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。
ふるさと創生の掛け声がかまびすしかった昭和63年、各県ごとにその「ふるさとづくり」についての基本計画を作るよう、政府から要請があった。
僕は当時、長野県企画局企画課企画幹という課長級のスタッフ職で、この計画づくりを担当した。
計画そのものは事業の羅列でおもしろいものではなかったので、何か一工夫入れようということで、僕が前文を書いた。
紆余曲折があったが、最終的には吉村知事(当時)の許可を得て掲載されることになった。それが以下の文章である。
タイトルもついていないので、仮のタイトルを「長野県ふるさとづくり基本計画前文」としておく。
今から20年以上前に書いた文章としては、時代の趨勢を見据えていた、と自画自賛している。
いまだから言うが、いくつかのネタは当時電通が出していた「生活大予言」からいただいたことを告白しておく。
                                          平成20年8月1日

昭和63年長野県ふるさとづくり基本計画前文
長野県ふるさとづくり基本計画「レンズは自然 そしてオブジェは未来」掲載 

「ふるさと」をつくる
そのために、何をすべきか考える。
まず、
東洋人であり、日本人であることに気付いてみたい。

産業革命以来の西洋優位の時代は、
次第に終焉を迎えつつある。

新しい時代が、新しい主役を求めている。

その要請に応えなければならない。

そして、
歴史からの視点を持ちたい。

地球のことに関心を持つ。

過去を知って未来を想う。

歴史の前に胸を張りたい。
そのためには、

公正でなければならないだろう。

マニュアルを捨てなければならないだろう。

そうしたなかから、洗練された
新しいコンセプトが生まれてくるに違いない。

ハンディキャップのある人も、ない人も、一人ひとりが、
広い視野に裏打ちされた生き方を持ち、主人公になる。


自信を持つ。
かつて「都て(すべて)智恵も余国よりは勝れたり。」と評された、
この長野県を、

地球の中の信州 にする。

そのための努力をする。

信州の可能性に賭けてみる。

こうして、高められた信州に、
一人ひとりの幸福が広がってゆく。

いま、「ふるさとづくり」の時代がやってきた。