![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 長野県政タイムス 平成4年4月25日(土曜日)掲載 | |
| 特別寄稿「はみだしきれなかった男(下)」 | |
| 自治省情報管理管室 課長補佐 (前長野県地方課長) 古川 康 | |
こうして長野県で5年間の生活を送ったのだが、千賀かほるといえば「真夜中のギター」太田裕美といえば「木綿のハンカチーフ」、自治会館グリルといえば「肉焼そば」というように、古川康といえば「現代信州の基礎知識Hamidas」ということになる。 県庁の仲間と一緒に作ったこの本のおかげで長野県における僕の生活はコペルニクスもびっくりのアインシュタイン的転換を遂げた。 この本のタイトル『Hamidas』はいわずと知れた『imidas』のパロディなのだけど、実は当初の案は『たとえでつづる長野県』だった。さらにいえばこれに対する出版社側の案が『信州のうら道、あぜ道、さんぽ道』であり、どうです。アンビリーバブルでしょう。Bチームが間接的に影響を受けたホイチョイ・プロダクションの『極楽スキー』だって当初案は、『滑降精神』だから変われば変わるものなのである。「村山建大+Bチーム」もへんな決まり方だった。 「村山建大」とは大先生市川健夫教授を意識。こうして並べてみてもらうと「村」と「市」、「山」と「川」、「建」と「健」、「大」と「夫」という風になっていることがおわかりかと思う。この本が出たとき、B新聞(「A」新聞ではないという意味である)の全国版の書評に『Hamidas』が載り、その中で「村山建大とは市川健夫教授のこと」と書いてあったために、先生はけっこうメイワクされたときく。 「Bチーム」というのもホントの案じゃなかった。投票の結果の一位は「午後の紅茶」で「Bチーム」は二位だったのである。だが商品名はまずかろうというので繰り上げ一位になったわけで何ともまあオソマツな話である。 しかし、オソマツだろうが何だろうがとにかく『Hamidas』はよく売れた。32,000部売ったのだから90年県下でトップセラーになったというのもわかる。ちなみに世界中で最も売れた本は聖書である。これは有名。聖書は確認されただけでも15億冊売れている。ただし、何事にもつきものなのが明と暗。売れた方もあれば売れなかった方もある。世界一売れなかった本とは何か。これは、これまでに確認したところによると、1930年代にチェコスロバキアで出版された『蛙の目玉に与える放射線の影響』という本でこれが10年間で2冊しか売れなかったというから、これもまた大したものである。 とにかく他県から来てみると長野県は話題の宝島だった。春の山菜採りの時期になれば根曲がり竹とサバ缶の話を聞き、夏には信州の人が上越の海に行っていかそうめんを食べて帰りになんとか鮮魚センターで魚を、しかもなぜか干物を買って帰るということを聞いた。僕等の年代ぐらいまでだと宴会で「はじめて海を見たのがいつか」という話題でけっこう盛り上がることを知りそしてものごころついてはじめて海に入った人は必ずといってよい程、海水の中に指を入れて、それをぺろっとなめて、ほんとうにしょっぱいかどうかチェックしたということを聞き、驚いた。 それは僕がスキーを初めてはいたのがいつだったか憶えているようなものだろうし、また、沖縄の人が雪を見ると必ずさわりたがるのと似ているのだと思う。 『Hamidas』が新鮮だったのは歴史家や観光客のためでない自分たちのための地域論を一歩地域から引いた視点で論じたからではないかと思う。『Hamidas』は方法論なのであって、他の地域でも出せるハズと思っていたところ、ほんとうに新潟と青森で出たのもご愛嬌だった。 この『Hamidas』をはじめとして、長野県でいろんなことができたことは僕にとっては本当に有難かった。よく人からは「はみだしている」といわれたが避けたいと思っていた。「なにいうだ、あれだけやって、へえ」と思うかもしれないが僕は公務員としてぎりぎりの範囲のことにはチャレンジしていたけれど、逆にしてはならない範囲というのにも敏感になった。いつもどまんなかにストライクを投げている人は外角ぎりぎりがどこまでストライクなのか、あんまり興味がないと思う。僕は公務員としてぎりぎりの球を投げようとした。ときどきボールになっておこられたりもしたけれど、そういう限界事例が積み重なって公務員としての社会的なストライクゾーンが広くなればいいなと思いながらやってきた。 そうでなけりゃいくらなんでも何年も公務員は続けられない。 今後も僕はこれで行こうと思う。今、環境は変わったけれど、あくまでもぎりぎりの線で生きてみたい。 ここまでおつきあいいただいたみなさんに感謝!! |