![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 地域づくり3月号 1995年3月(完) | |
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| 遺書 | |
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テキは東京である。 なぜ「地域づくり」とかむらおこしとかいうことが叫ばれているのかというと、そこに元気がないからだろう。そしてなぜ元気がなくなったかというと、それは経済発展のため、官民挙げて豊富で安い労働力を地方から都会へと送り出し続けたからだろう。 その結果、地方とくに農山村は疲弊して、都会、とくに東京が巨大化した。 たとえば、今、この文章をお読みの方のなかで首都圏に親戚が一人もいないという人がいるだろうか。おそらくはいまい。 そういう意味で僕らはいわば、「東京システム」のようなものから逃れられない(なんだか小沢健二の曲のような感じだけど)。 とにかく「東京の一人勝ち」状況を変えなければ、「東京に行けばなんとかなる」、「東京じゃないとどうしようもない」といった幻想を消し去ることができない。 遷都でもいい。地方分権でもいい。とにかく「何でもある東京」をなくそう。 国際人とは、自分のことをよく知っている人間のことである。そして差別されていることに気づいていない人びとは差別していることにニブくなる。 国際化なるものの基本は、自分たちの地域や国のことをよく知り、理解していること。 言葉ができるとか、海外に何度行ったとかではないはず。 モーツアルトのことを知らないこよは日本人として恥ずかしいことではないだろうが、近松門左衛門や溝口健二を語れないのは「国際人」ではないと思う。 「フリーズ」事件というのがあったが、あのとき日本政府は容疑者が無罪になったことに対して「きわめて慎重」な姿勢だった。無罪はおかしいと頑張ったのはアメリカの日系団体だけだった。 これが逆に、間違えて入ってきた白人を日本人が売って殺したという事件だったら同じ結果になっただろうか。 僕はそんなことはないはずだと思っているのだけれど、どうも日本社会というのは「エイズ患者に対する差別はおかしい」とか「黒人差別はけしからん」というのはウケルのだが、自分たちの仲間である日本人がアメリカ社会で差別されているかどうかということについてはニブい。日本人はどうも、自分たちを白人だと勘違いしているような気がする。 僕のところにかつて、アパルトヘイトに反対している団体からぜひご支援をという話があったことがある。 僕は支援すること自体には抵抗がなかったのだが、その団体の人の説明が。「こういう差別はやってはならないことです」という感じだったのがひっかかった。 日本人は、現地では「名誉白人」とかなんとか呼ばれていたらしいが、どういう呼ばれ方をしようとも僕らは有色人種であることは間違いない。そして、そういう意味でわれわれの仲間である黒人が差別を受けているということに対する問題意識が、その人の説明では感じられなかったことがどうも気に入らなかったのだ。 たくさん本のある本屋や観たい映画を観れる映画館が街にあるということは文化政策そのものである 文化政策というと、これまで自治体でやっていたのは、埋蔵文化財とか、そういうなんだか古めかしいものばかり。ところが最近とくに都道府県では知事部局に文化担当なんかができたりして、新しいことをやっているところがずいぶん出てきた。 ところがどうも行政が取り組むとすぐクラシックとか歌舞伎とかになるというのがよくわからない。 なぜクラシックだけ特別扱いするのか。 ミスター・チルドレンやガンズ・アンド・ローゼスはなぜ文化の対象にしないのだろう。 それと美術館、博物館もいいけど、街にもっと必要なのはタワーレコードだったり、紀伊国屋書店だったりするのではないか。そういうことは文化政策ではないのだろうか。 そういうことは民間活力ということだろうが、じゃあ企業誘致はなぜやっているのだろうか。 「それは地域に雇用の場をつくるためだ」というならば、これからの行政は、雇用の場だけでなく、住民が楽しめる場を提供するのも重要な仕事ではないのか。 阪神大震災で思ったこと 中央官庁の人間が、自治体の対応に満足できず、「だから地方にはまかせられない」と言ったという話が新聞に出ていた。この言葉が本当だとしたら、彼は完璧に間違っている。 自治体というのは、基本的に大統領制であるから、緊急時に権限を集中させて対策をとることはできないことではないのである。そらが具体的な対応としてなかなか目に見える形にならなかったのは、こういう緊急時においてでさえも。自治体に権限がなく、いちいち中央官庁の決定を待たなければ物事が処理できなかったことにある。 たとえば、公営住宅に被災者を入れられるかということもそうだろう。交通規制をどのようにするかもそうだ。 外国から来た医者に対し、日本の免許がないからダメだと言ったというのも、厚生省がOKを出す前に県で判断しろというのも、日頃、臨機応変に対応することを許されていない都道府県の担当者に、それを急に求めるのはムリではないか。 今回の対応では、政府の「法改正を検討します」という答弁が目立った。 政府は、必要とあらば法を変えることができる。しかし、現場の自治体は、とにかく現行法の枠内で対応するしかないのだ。 今回の対応で改めて浮き彫りになったのは、緊急時には中央政府ではなく、現場の自治体に権限がないと物事は処理できないいうことなのではなかっただろうか。 以上がこの連載を終えるに当たっての遺言である。 それではごきげんよう。 |
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| 杠 玄照とは古川 康のペンネーム 杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。 |