![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
|
| 地域づくり8月号 1994年8月(5) | |
![]() |
|
| サッカーと北朝鮮問題 | |
|
|
|
| サッカー選手の背番号の決め方も知らないくせに 今月はサッカーと北朝鮮問題は、とかく雰囲気に弱い僕たちの社会の象徴なのだ、ということをいいたい。 まずサッカーから。最近、いくつもの県議会、市町村議会で「わが地域にJリーグチームを」という質問や陳情が取り上げられているらしい。 静岡や埼玉のように、ずっと前からサッカーの盛んなところなら堂々とやればいいと思うし、事実、静岡県には二つもチームがあって、しかも二つとも、県庁所在地である静岡市を本拠地にしていない、というのが静岡のふところの広さを感じさせる。 埼玉は、以前住んでいたときには子供たちが、草野球をやっている姿よりボールを蹴っているほうが多いのを見て驚いた記憶がある。 ところが、そのほかの地域では、別にサッカーなんてどうでもいいとはいわないまでも、やっぱりいってしまえば、どうでもいいと思っていたところがほとんどだったのだろう。 それがこの、Jリーグの成功を目の当たりにして、われもわれもと名乗りをあげ、しかも、うちは、昔、何とかというサッカー選手がいたとか、サッカーボールの生産はうちの地域が多いからとか、とにかく理屈をつけてサッカーをと叫んでいるのは、なんともはや、恥ずかしくはないか。 昔、ボートハウスというブランドのトレーナーが流行ったとき、そのまねで「ボートホーム」というやつがあった。それと似ているじゃないか。成功するかどうかわからないときには黙って見ておいて、人が成功すると、自分も自分もと主張することを潔しとしないという、哲学はないのだろうか。 県民スポーツだとか、地域に根付いたスポーツというのは非常に少ないし、それをつくるのはなかなか時間がかかるのだ。 若いもんよりおやじがうまいというくらいじゃないと、地域スポーツなんていえないのではないか 信州のスキー場なんかだと、そのへんの民宿のおやじがどてらを着て滑っている。これが会社を四日休んでSAJの一級を受けにきたような、アパレルのにいちゃんなんかよりもはるかうまかったりする。 ああいうおやじは、小さいときの竹スキーに始まって、親と一緒にスキーに行ってもスキー場のレストランには入らず、そこの軒をかりて、おむすびを食ってたりしたりして、うまくなっていったわけで、こういうのが地域スポーツというのではないか。 長野県の人はスキーばかりやっているわけではないが、スキー場のある地域の人と話をしていて「スキーうまいんでしょう」と聞くと、「いやいやただ長いだけで」と答えるので、「でも二級ぐらいいくんじゃないですか」と水を向けると、、「まあ、二級ぐらいははね、一級はむずかしいかもしれないけど」という返事が返ってくることがしばしばであった。 そういうさりげないけど、実はうまい人がごろごろいるというのが地域の厚みであり、そうなって初めて地域スポーツといえるのではないだろうか。 ニューズウィークの表紙とワールドカップ 日本は、サッカーは弱い。ワールドカップだって日本は、審判以外で出たことは一度もない。それでいてあれだけ大騒ぎしている。ワールドカップを報道するいくつかの雑誌を見ていて、ふと気づいたことがあった。 六月二十二日付け日本版ニューズウィークの表紙は、イタリアのロベルト・パッジョ選手だった。ところが、同じニューズウィークのアジア版(要するに英語で書いてあるやつ)は、同じサッカー選手でも韓国のキム・ジュー・スン(金鋳城)選手が表紙になっている。なぜ、アジアの代表韓国の選手を表紙にせずに、イタリア人にしたのだろうか。発売元の編集部にたずねてみた。 彼は、個人的に見解としながら次のように話をしてくれた。 「日本版のニューズウィークは、アメリカ国内版、アジア版をはじめとして世界中のいろんな版から日本向けに記事を翻訳、編集しています。だから、アジア版と日本版とでは表紙を含め、内容は違います。 今回のワールドカップでは、イタリアは優勝候補、それに比べて韓国はアジアの代表とはいうものの、一勝できるかどうかというところ。予選のときは、日本は韓国に勝ってますからねぇ。そこの選手を載せるよりは、世界のスーパースターを表紙にしたほうが、今回のワールドカップの幕開けにふさわしい、というのはあるんじゃないでしょうか。韓国にはニューズウィークの韓国版がありますから、そちらのほうで取り上げてもらうこともできるわけですし」。 そのとおりだと思う。日本では、韓国の選手が表紙を飾るよりも、イタリアの選手が表紙を飾ったほうが売れるだろうし、違和感もないだろう。そういう判断は間違っていないと思いう。 ただ、アジアという地域を視野に入れて物事を考えるという習慣が、経済の場面以外ではなかなかこの国のマスコミに根付きにくいのだなあ、ということを感じてしまって哀しくなるのだ。 そういうマスコミも各地の朝鮮学校に通う在日朝鮮人が襲撃を受けたりすると、「こんなことを許してはなりません」などという。たとえば韓国の選手の写真の代わりにイタリアの選手の写真を使うというようなことが実は、そういう心根を奥底で応援しているということになっているということにも気づかずに、だ。 北朝鮮はホントにこわいのか 関東大震災のとき、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根も葉もない噂が広まり、六千人以上の朝鮮人が何の罪もなく殺されたという出来事があった(当時の政治はいったんその流言を事実と認め、戒厳令を施行している)。 そのときから今年で七十一年たつが、見事なまでに日本人は実は変わっていない。 今回の在日朝鮮人に対する有形無形の暴力行為もそうだし、数年前に首都圏のある市の自治会が、これまたその地域に住んでいる外国人(おもにイランなどの国からきた人が多かったのだが)が日本人を襲ったという噂を無邪気に信じて「外国人に気をつけましょう」という、回覧板をまわしたのもそうだし、去年か今年にある市で、外国人留学生のための会館を建設しようとしたところ、付近の住民が反対したというのもあった。 ****** サッカーにしても、北朝鮮問題にしても、そういう雰囲気で物事を考えよう、または感じようとするところが、われわれの社会の弱いところではないだろうか。 |
|
|
|
|
| 杠 玄照とは古川 康のペンネーム 杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。 |