![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 地域づくり4月号 1994年4月(12) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 春になると思うこと、もしくは「ラーメンによるまちづくり」と「温泉噴水公園」はなぜできなかったか、とはどちらが大切かについて | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 春というか、四月というのは一種、役人正月みたいなところがあって、三月三十一日と四月一日とはカレンダー上は、たった一日の差なのに、おおみそかと正月ぐらいの違いがある。 四月は移動も多く、赴任したばかりの職員がなんとなく居づらそうに椅子に座っていて、たまに以前の職場から電話がかかってきたりすると、嬉々として電話口で笑っているという光景はこの時期のものだ。なんとなく緊張感が漂う、カタイ独特の雰囲気がある。 そういう時期だからいよいよ二年目を迎えるこのコラムでも、少しはえらそうなことを言ってみようと思う。 自治体管理職は無能か 埼玉県のある市の職員の方の書かれた本に出ていたといって、友人が自治体管理職批判十七ヶ条なるものを見せてくれた。出典がはっきりわからないのに、勝手に引用していいのか気がひけるところもあるが、なかなかおもしろいので紹介させていただきたい。この十七ヶ条、ある民間計画機関のコンサルタントによる自治体職員批判(とくに管理職対する)ものだという。 管理職でなくても、役所に入って数年たてば、後輩も入ってきているわけで、そういう意味でも広く皆さんに、わが身を振り返ってみていただきたい。 自治体職員批判十七ヵ条
どうだろうか。この十七ヶ条のうちの多くは、別に自治体職員に限らずといってもよいと思うが、なかなかシビアで、結構思い当たるフシがあるのではないだろうか。 僕自身からの感じからいうと、外から見ていれば、自治体職員の能力というのは、だいたい(はやりのことばでいえば、「腰ダメ」だが)優秀であると思う。それ以上に問題だと思うのは、能力に見合ったやる気があるかどうかということだ。 これでは宝のなんとやらでは 市町村でも県庁でも、入ってくる職員の資質(もっとありていにいえば学歴)は、かつてとはずいぶん変わってきていると思う。そのことは大変よき傾向かなとは思うのだけれど、じゃあ自治体のやっていることはそのころと比べてどうだろうかというと、たしかにこれまた変わってきているということがいえるだろう。自治体がサッカーをやろうとか、オリンピックをやろうとか、ラーメンによるまちづくりだとか、とにかく、新しく行政で取り組むことになったものは、この十年間ぐらいでとても幅広くなってきているということがいえる。 ところが、市町村なり県の権限というか、国の関与を受けずにできる本来の行政の仕事はどうかというと、そんなに情勢に変化があったとは思えない。つまり、本来の行政をやっていただけではとても新味が出せず、結果として、そういう別の道で独自性を求めざるを得なくなってきているということではないだろうか。 たしかにラーメンによるまちづくりをやっている限りは、少なくとも国や県からいちゃもんをつけられることはあまりないだろう。それはそれでよい。 ただ、そういうこと以外の、たとえば、ある温泉まちで、国庫補助をもらって児童公園を造ろうとしたとき、せっかくだから温泉の噴水にしようとしたところ、子供がやけどをするかもしれないからダメだといわれた」、ということなんかは、昔とあんまり変わっていない。 いや、変わっていないというのはマチガイである。これまた、はやりのことばでいえば「過ちをただすにはばかることなかれ」であって、国はずいぶん変わってきている。「地域の実情に応じた」とか、「地域主体による」とか、そういう枕詞や形容詞でもって、自治体の心をくすぐっている。 しかし、こういうふうに国の役所が言い出したのは、そうでもしないと自分たちの役所が生き延びれないからという面が多分にあるからだろう。たいていの国の役所にとって、自治体でなにか問題をかかえているというのは、自分の身が切られているような痛みではなく、靴に小石が入ってしまったときのような感じにすぎない。 そういう国(や県)に、制度や財源を頼らずに行政が進められることになってはじめて自治体は、いまいる職員の能力の有効活用ができるようになるのではないだろうか。 ここまで読んだら このコラムをここまで読み進んできていただいたということは、実はあなた自身、こういうことに興味を持っているということにほかならない。 この四月を期して、少し自分を磨くこととか、地方分権のこととか、いろいろ考えてみることにしたらどうだろう。 @ 以前にもこの欄で書いたのだけれど、近年の日本で、地方分権がこれほど叫ばれ、自治体に権限を移すことがこれほど善であるといわれている時期はない。今がチャンスなのだから。 |
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| 杠 玄照とは古川 康のペンネーム 杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。 |