古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。
地域づくり12月号 1994年12月(9)
杠 玄照のからくち自治時評
新しいことを自慢しているオートキャンプ場はタカビー女のようなものだ、ということについて


オーストラリアふうって何だろう

去年の夏、できたばかりのオートキャンプ場に僕は出かけた。施設がきれいで、従業員の対応も気持ち良く、楽しくキャンプができた。
ただ、このキャンプ場を見ていて気になることが二つあった。一つ目は、前にも書いたけど、このキャンプ場が「オーストラリアふう」を売りものにしていることだった。オーストラリアふうということは気分はオーストラリアだけれど、それ以外はニッポンということの裏返し。キャンプ場の中の通りの名前がオーストラリアの地名をとっているということ以外、オーストラリアふうなものは見あたらない。売店にコアラのぬいぐるみが置いてあることぐらいである。だったら別にオーストラリアふうとつけなくてもいいではないか。全国各地でなんとか「村」とか「ふう」というのがはやっているけど、そのほとんどが「村」や「ふう」というのは「マネ」と「ニセモノ」を表す記号になってしまっている。年間、1000万人以上の人が毎年海外に出かけている今、本国の人がみてもびっくりするぐらいのものを作らなければ「村」や「ふう」の意味はあまりないだろう。

オートキャンプ場で何をして過ごすか
もう一つは、このキャンプ場はいつまでお客さんを引きつけることができるのだろうかということだった。
キャンプというのはキャンプすること自体が楽しい目的となっている部分がある。
だからテントを張って、ご飯を食べたら、あとは好きにしていいのだが、夜はなんとかなるにしても、その翌日は基本的にヒマである。大人も子供もヒマである。別に働きにきているわけではないから、このヒマなところがなんともいえずいいのだが、そうばっかりもいってられない(なんといっても僕は典型的な日本人である)。キャンプ場には子供の遊び場もあるのだけれど、もつのはせいぜい一時間ぐらいか。あたりを散歩してみても、哀しいかな、僕のような口先アウトドア派の人間は、植物の名も鳥の声もわからない。
たまらず、案内所にかけ込んで、何かオススメのものがないかたずねたところ、野鳥の観察小屋がありますよという。行ってみたら確かにログハウスふうの小屋がある。どういう仕掛けになっているのか興味津々で入ったところ、要するに壁一面にここでみられる鳥の一覧かなんかがあるだけ。これじゃ、ここでどうしろといわれても困ってしまう。
まいったなという感じである。
要するにその程度の知識しかない人間では、とてもこの観察小屋は使えないということなのだ。
僕は再び案内所に戻り、あの観察小屋は高度すぎて、自分のようなものには使えないと告げた。案内所の人は、それは残念と言ってからぽつんとつぶやいた。「わたしたちだって、なんであれがあるのかよくわからないんですよ」
どうも話を聞けば、もともとこの施設は、地元の町のものではなく、管理運営をまかされているだけで、施設の建設については地元はあまりタッチしていないとのこと。そういうこともあろうかと思う。
そのことはいいとしよう。僕が問題だなと思ったのはその後だ。案内所の人は言う。
「ここに来た人って、何をして遊んでいるのかよくわからないんですよね。車で1時間かかる海岸にけっこう行ったり、ここをベースにして観光したりしている人も多いようですし」
そこで僕は「じゃ、ここでは、お客さんに対して、どういう過ごし方を提案しているんですか」と聞いてみた。
オープンしたばかりの自治体直営の施設の人に対する質問としては、少々意地の悪いものだったかもしれない。彼の返事はこうだった。
「とくにないんですよ。ただ、雑誌でこの施設はたいへんいいということでお墨付きをもらったものですから、土、日はお客さんがたくさん来てくれましてね、そういうことをあんまり考えなくてもいいんです」

施設の新しさに満足していると…
なるほど。確かに今は、設備がいいということでキャンパーたちが来るだろう。しかし、これから次々にできてゆく競争相手は、だいたいがこれくらいの施設・設備を当たり前としてできてゆくだろうと思う。
ここの施設が立派となっているのは、トイレがきれいとか、サイトごとに水道が使えるというような基本的なところだから。
そうすると、古くなったキャンプ場というのは魅力がなくなってくるではないか。
施設を売りものにしているところは、必ずやもっと新しい施設にとって代わられる。だから、先行してオープンした施設にとって必要なことは、この施設が新しいうちに、どうやってこのキャンプ場のファンを増やし、古くなっても足を向けさせるようなソフトを開発することではないだろうか。
オートキャンプ場に来る人の多くは本格的なキャンパーというより、僕のような軟弱アウトドアのタイプがたくさんいると思う。そういう人たちに対して、キャンピングの基本を教えたり、ネイチャートレイルをやって、草の名前、鳥の鳴き声を教えたりというようなことをやったらどうなのだろうか。僕は臆面もなくそういった提案を案内所の人にしてみたが、彼は「いやあ、そんなことをしなくても乗ってくるような人はあんまりいないと思いますよ。そういうことが好きな人はこんなところには来ずに、本当のキャンプ場とか登山とかやってますから」とあまり乗り気ではなさそうだ。

新しい施設はタカビー女か
これはいわゆるタカビー女のようなものだな、と思う。若くてきれいなうちは世の男どもはちやほやしてくれる。だからといって、高飛車に出ていると、容姿に衰えが見られるにつれて、男どもはつれなくなる。そのときにいくら若いときのことを悔いても後の祭りというやつだ。サラリーマン川柳でいえば「適齢期 振った男を思い出し」という感じ。
だから若いうちから高飛車に出ず、気の利いた飲み屋ママよろしく、おさおさおこたりなく、愛想を振りまき、客をつかんでおくことが必要なのだ。そうすれば、少々姥桜になったちて、逆に味が出てきていいとか、あの店って落ちついてていいとか、そういう評価を受けるようになるのだ。
自治体の施設だって同じだろう。今、ちやほやされてうかれていると、あとが大変。今のうちが勝負だと思うのだが。

杠 玄照とは古川 康のペンネーム
杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。