![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 地域づくり5月号 1993年5月(2) | |
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| どでかい文化ホールができると、福岡ドームと同じような喜びと心配を感じてしまうのはなぜか | |
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最近は文化ばやりということであるらしい。あちこちの県や市町村で基金ができている。とくに県では、それまで教育委員会だけでやっていた文化行政を知事部局に一部移しているところが、組織の名前だけから判断しても三十三ある。こうしたところでやっているものを新・文化行政と呼ぶことにしよう。いいことではないかと思う。どうも教育委員会に文化を語っていただくと、縄文時代のトイレはどうだった的な埋蔵文化財のオハナシか、生涯学習と称する「蒙古襲来時における本県荘園制の状況について」といったカタイお話、はたまた本州で唯一この地域にしか生息しない貴重なカミキリムシの保護のようなことだったりして、どうも「ふるい」「かたい」「食えない」の三拍子揃ったいわゆる"五日目のパン"的な状況だった。 確かにいままでの文化行政には、ややそういったキライはあったといえよう。 ところが、実はこの文化行政たるや、いつもジャマな国の関与がほとんどなくて、けっこう楽しく、自由にやれる領域なのだということがいつしか分かってきた。しかもポイントは、今までやってきた文化行政の範囲になかったものをスタートさせるということだった。そうしないと、とかく役所の場合、いままでその仕事をやっていた部局との関係がややこしくなる。そして、県でも市町村でもここ十年ぐらい、文化、文化ということで、とにかく県レベルでは施設が充実してきた。はっきり言えばこれまでの新・文化行政は実は「ヒト」と「モノ」が先行していたという部分があったということだ。 ただし、それがいけないというのではないのでご注意を。どんなことでも進めようとすると、必ず何かを先に、何かを後にということになるのは当たり前である。文化行政のおかげで、たとえば東京都庁に新しく入った十人に聞いたところ、配属先で一番希望が多かったのは「生活文化局」であったし、バッハホールを作った中新田町(宮城県)は、全国的にも名が通るようになったしと、いろいろ効果があるのである。 それにしても、「地方」にこうした文化施設ができたときの東京=中央マスコミの反応は気に食わない。「リッパなものができましたね」の後に「でも一体何に使うんでしょう」と必ずのたまう。彼等にしてみると、「こんなリッパな施設ができたのだから毎日毎日イベントやコンサートが開かれるべきで、聴衆も満員であるべきだ」ということらしい。「ヨントリーホール(仮称)なんかすごい人気ですよ」などという。冗談じゃない。あれが日本のホールの代表なわけはないのであるし、だいたい、東京でそのへんの道を歩いている人に「ヨントリーホールを知ってますか」と聞けば、五人のうち三人は「ウイスキーの展示場ですか」という程度のものであるのだ。 中新田町ではバッハホールを知らない人はいないどころか、ホール内のトイレの位置まで教えてくれるだろう。(トイレで思い出したが、一昨年長野県更埴市に完成した「あんずホール」は音響もいいのだが、それ以上に女性用のトイレ比率が極めて高く、待ち時間なしと好評。残響を1.5秒にするか1.7秒にするかに五千万円かけるのも悪くないけれど、その金を使って女性用トイレの数を増やしておくという手だってあるのだ) 話はそれたのだけれど、そういう施設批判というのは、三割しか使われないからムダだという観点で行われるべきではなく、そういう施設を作ることに対して住民との合意があったかという点が問題であるべきなのだ。ホールに限らず、グラウンドでも会議室でも、だいたい東京の施設はどこに行っても混みすぎていて、しかも民間のものが多くて高すぎる。こんなところを日本の標準にされてはたまらない。半年前に予約しなければラグビーの練習ができない都市(まち)というのはどう考えてもヘンなのである。 ただ、最近の「文化」というもののあいまいさ、というよりは偏りの問題。文化という言葉自体とても広い意味があるから極端にいえば箸の上げ下ろしも文化である。でも行政でやろうとしている文化にはどうやら含まれていないらしい。冠婚葬祭なんかは地域文化の典型のようなものだが、これとて行政側でやっていることはほとんどないし、やっているとすれば、できるだけ質素にということで花輪や祭壇を貸してみたり、香典は千円までと決めてみたりと、要するに地域らしさなどというのは出さないようにしようという方向であって、間違ってもたとえば東海地方の市町村のように「ハデな結婚、地域の誇り」などというキャンペーンをはるなんてことはないのである。 どうも新・文化行政の対象というのはそういうものではないらしい。 新・文化行政が好きなのはクラシックである。オーケストラだのオペラだの、そういうのは大好きで、「ぜひわがまちにもオーケストラを」などというと文化人として尊敬されたりもする。僕自身もクラシックは嫌いではないけれど、「ヨーロッパに行けば人口数万のまちにもオーケストラがありましてね」などという向きはイヤだ。ヨーロッパではオーケストラは伝統文化なのであって、外来文化ではない。だから「ヨーロッパに行けば人口数万のまちにもオーケストラがある」という現象に対応させるべきなのは、「日本では人が三人寄ると俳句をつくる」とか「数千人のまちには必ず能楽堂がある」とか「小学校では三味線が必修です」という状態であるべきなのだ。 さらに外来文化でも、クラシックはいいけれどロックはどうもというのもよくわからない。県庁所在地でクラシックコンサートの切符売りさばきの経験のある人なら多くの人が「なぜこんなに売れないのか」と思ったことがあると思う。僕がかつて住んだことのある人口三十数万人の県庁所在地ではクラシックを聴く人口は基本的には百五十人前後だといわれていた。だからユーミンのコンサートの時には三日前からストーブ持参の行列が冬の風物詩として定着しているのだけれど、「ズービン・メータ指揮イスラエル交響楽団」というなかなかのプログラムでも二千人収容のホールは大きすぎてしまうのだ。立派なホールができるのは嬉しいが、こんどできた福岡ドームと同じようにウレシイながら野球の時にちゃんとお客が入るかちょっと心配になってしまうのだ。 もう一つの気になる点は「文化を享受する」ことに一所懸命で、「育てる」ことにはあまり熱心ではないように思えてしまうことだ。 最後にもう一つだけ。「文化の香るまちづくり」をヒョーボーしているところでは、中学校のジャージー登校だけは考え直していただけないか。グラウンド以外でジャージー姿が許されるのは深夜のコンビニだけではないだろうか。 |
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| 杠 玄照とは古川 康のペンネーム 杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。 |