古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。
地域づくり12月号 1993年12月(8)
杠 玄照のからくち自治時評
やっと出た、外国人問題をどう考える

この雑誌(『地域づくり』)は、どこでどういう形で読まれているのだろうかとよく考える。大きな本屋で立ち読みということでもないだろうし、定期購読している人が、少年ジャンプ並みにあるとも思えない。おそらくは職場で、「地方公務員月報」だとか、「時の動き」なんかと一緒にまわっていて、ときどき人目を気にしながら目を通してもらっているのだろう。

ところが、僕が思うところ、かなり軽い気持ちで、または軽いきっかけで手にしてもらっている割には、この連載にはいろんな反響がある。正直言ってうれしい。

ホメてもらっているのもあれば、あれは違うとおこられるのもある。私は、こう思うという手紙もある。でも賛成でも、反対でも、こうした形でレスポンスが返ってくるというのは、電話や手紙で反応してくれた人たちが思っているよりは、はるかにそれを書いている人間にとっては、ありがたい。ホメてあれば頑張ろうと思うし、叱ってあれば反省している。よくマンガ雑誌のはみ出しに「なんとか先生にはげましのお便りを書こう」なんてのがあって、幼少のみぎりにはあれはなんのためのものだろうと怪しく思ったものだったが、やっとその意味が分かるようになってきた。とにかく読者からの反応は、暗闇を歩いている時に、「こっちにおいで」とか、「こっちにはこないで」という道しるべのようなものなのだ。これからもどんどん送ってください。

さて今回は、"お待たせ"外国人問題。十月号でやる筈が、すっかり忘れていて申しわけない。

ここ2、3年のうちにおきた事件で、僕がふうんと思ったものをまず挙げる。

とりあえず読んでいただきたい。

「英国人」不採用事件
今から2年前、東京近郊のある市が、市の国際係に「西欧人」(この言い方が正しいかどうか自信ない。僕の読んだ新聞では、「westerner」となっていた)を募集したところ、英国籍のアジア系女性が応募してきた。

「西欧人」といえば、紅毛碧眼しか想像していなかった市当局をあわてさせ、しかもその女性を不採用にした。これは市議会でも問題となった。

「人口十万人」突破式典事件
ある市で、人口十万人突破の式典をやった。そのこと自体は全く問題がない。問題は人口の取り方である。市当局は、十万人突破を、住民基本台帳人口で判断した。住民基本台帳には市内に居住する日本人が記載されることになっている。ところが市内には外国人が一定数住んでいて、それを加えればすでに人口は十万人を突破していたのだ。税金は払っているのに、自分たちは数のうちに入らないのかと彼らはおこった(人口十万人だったか、手元の資料があいまいなのだが、事実関係は大体これでいいと思う)

「入場券は郵送で」
その町では、選挙のときの投票所入場券を地区ごとにまとめて、自治会を通じて各家に配ってもらっていた。

ある時、その配布を頼まれた人が家を回って入場券を配っていたところ、普段よくつきあっている近所の人の分がない。どうしたのだろうと思ったが、要するにその近所の人は日本国籍がなかったのであった。
「こういう形で国籍が分かってしまうというのは問題のような気がしますが」と、その入場券の配布を頼まれた人が、酒場のカウンターで僕に問いかけてきた。

とりあえずこのくらいにしておこう。

この「国際化」ばやりのこの国で、起こっていることのほんの一例だろう。

僕がこれまでもこのコラムの中で訴えてきたように、今の日本の国際化の方向は全くおかしい。個人がかってにおかしいのは仕方ないが、いま挙げた三つの事例は、大なり小なり自治体がらみである。

でも自治体までが、そういうおかしな風潮に乗ることではないではないか。

要するに差別意識が欠如しているのだ。しかも、自分たちが差別していることに鈍感だと差別されていることに対してもまた鈍感になる。

たとえばあの「フリーズ」事件。容疑者が無罪になったことについて、日本政府がきわめて慎重に(何て便利な言葉!)対処したのに対し、米国の日系団体の一部は、司法省に対し公民権法違反容疑で再捜査を要求している。

11月に集英社から出た「フリーズ」の著書は、米国在住の日本人弁護士である。彼は自分のガールフレンド(日本人)を交通事故で失った。その事故は、酒に相当寄って高速道路の進入路を逆に入ってきた白人女性の運転する車に、そのガールフレンドの乗った車が衝突し、その結果ガールフレンドは死亡したものだった。だが裁判の結果は、最小の罪である実刑1年という微罪だった。彼は考える。もし、被害者が白人だった場合、果たしてこのような形で裁判は決着しただろうか。

こうした経験があって彼は、「フリーズ」の服部君の事件について、調べ始めたのである。

しかし、日本社会はこういう取り組みにはあまり興味を示さないように見える。

関東大震災の時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根も葉もないうわさを、信じた人びとがたくさんいた。この国では、それから60年以上経った後でさえ、東京近郊の、中近東や、南アジア系の人が多いある市で、「外国人に妊婦が暴行された」などというこれまた根も葉も茎もつぼみもないデマが広まった。それを真に受け「外国人に気をつけましょう」という回覧板が回るというアンビリーバブルなことが起きたりしているのだから。

杠 玄照とは古川 康のペンネーム
杠 は、佐賀の特徴的な苗字なので、佐賀の人間だということをさりげなく表現しています。玄照 は「玄界灘を照らす男」という意味で気概に満ちたネーミングです。