古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。
「地域文化」 Vol.12  1992年10月  村山 建大(古川 康のペンネーム)
カンボジアでおらも考えただ

 カンボジアに行ってきた。
恥ずかしながら、初めての海外出張。いままでデイパックにスニーカーというかっこうでしか旅をしたことのない人間が、スーツケースなんぞを人から借りて使おうとしたのが失敗だった。
成田空港で着替えをスーツケースから出そうとして突然、熱いものが体中を駆けぬけた。
鍵がなかった。

 自慢じゃないが切り替えは早い。「よし、それなら、バンコク(途中、一泊することになっていた)とプノンペンで、どれくらい物が手に入るか試してみよう」と決心した。
実はこの出張、PKO調査団の一員としてのものであった。決心はよかったのだが、成田空港で調査団一行がフラッシュとテレビカメラを浴びながら進んでいくなかで、僕の黄色いシャツにリュックサック姿は異彩を放った。

 「一人だけ山下 清がいた」といわれた。

 着替えなくとも目的地には着く。僕はバンコクに着くなり、デパートに飛び込み、ボディコンの制服を着た店員さんと仲良く、スーツケースやらワイシャツやらを選んだ。
タイの女性はスタイルがいいから実にボディコンが似合う。誘われるように、ついいろいろ買ってしまった。
以前はタイ製のワイシャツを買うと、ポケットとシャツの生地との縞模様がズレてたりしたものであったが、今度買ったものは違った。こんなところをひとつ取ってみても、その国の産業の成長が感じられる。

 ちなみにタイでは、ハンドバックはほとんどショルダー型で、手に持つのはほとんど売れないらしい。
なーぜか。
挨拶のときに、合掌するのに不都合だからだそうである。そういう話を見つつ、聞きつつ買い物を終え、プノンペンに入った。

 プノンペンでは、カメラと靴とズボンを買った。
日本ではズボンを買うと裾直しが大変だが、ここではそんなことをしない。ウェストを測って、あとは柄。
たしかに、ホテルに帰ってはいてみれば足の長さがぴったり。

自分がやはり、この国に向いてることを実感した。

 市場に限らず、この国では通貨リエルに信用がなく、みんな少し金ができるとすぐに市場で金に代えるから市場の中には貴金属店が多い。そこではドルはもちろん、タイバーツが使えるのは驚いた。

 もちろん、こういう国での買い物は、値段の交渉が必要だ。ただ、僕はあまりしない。 
以前、エジプトで現地のガイドと一緒に買い物をしたことがある。
僕はおもしろがってやたら値切ったが、彼はそれをやらず、言い値で買っている。
「なぜ、安くしろといわないんですか」と聞いたら「彼は自分より貧しいから」という返事がきた。
それ以来、僕は「まけてくれ」がいえずにいたのだ。
ところが今回、バンコクの日本大使館から応援に来てくれた人からこう言われた。
「乗り物は、言い値でやるとダメ。外国人には高く言ってくるし、それをそのまま払うようになると、ドライバーたちが、地元の人たちを乗せるのをいやがって、外国人を待つようになってしまうの。だから、きちんと相場を押さえて、それにプラスアルファぐらいの外人税を払うようなつもりでないと、結局、地元の人にとって迷惑になってしまうのよ」

 何事も、行きすぎないようにバランスをとるというのは難しい。
日本が、カンボジアに何をしたらいいのかというのも、金だけ出せばいいとか人だけだせばいいというのではない。どういう方面に、どういうバランスで出していくかが難しいのだ。

 日本に帰ってきた日、「ふるさときゃらばん」という劇団のパーティに出た。会費一万円だったのだが、金がない。手元に100ドルあったので、これでダメか、換算すれば一万二千円にはなると主張したが、ドルではダメだといわれた。
日本政府は、ここでは少なくとも、かのアメリカ合衆国よりもはるかに信用力があるのであった。