![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
|
| 平成4年8月1日付 日経流通新聞より | |
| 「風土に漬かって住民と国おこし」 | |
![]() 当時の古川(平成4年8月1日新聞の写真より) [ふるかわ やすし] 1958年7月、佐賀県唐津市生まれ。東京大学在学中はボート部に在籍し部活動に入れ込む。 「法学部卒業というより、ボート部を5年で卒業した」という。 82年自治省に入り、同年7月から沖縄県庁に出向。84年消防庁、87年長野県庁出向を経て、92年4月から現職。7月上旬、政府の調査団の一員としてカンボジアに。 政府のカンボジア調査団が7月1日から1週間現地を視察した。その調査団の成田空港出発を報じるテレビ画面の片隅に、リュックサックをしょった小太りな若者、古川 康の姿があった。 "政府関係者"のイメージからは程遠いそのスタイルは「ちょっとそこまで」と世界を旅する一介の旅人そのもの。 古川は自治省から沖縄、長野両県に出向して町おこしに携わった経験を持つ。 「地方自治体の町おこしとカンボジアの国おこしには相通じるものがあるはずです」。 地域に密着し住民と共に学び・育てるという手法を、カンボジアでも実践していく考えだ。 □ □ □ 現在の役職は、自治省の情報管理官室(地域情報化推進本部)課長補佐。国会の大臣答弁用資料の収集などが主な仕事だ。 調査団の同行を命じられたのは出発直前の6月20日すぎ。内心「やった」と喜びながら、「なぜ私が」と上司に聞いてみたところ、「カンボジアには湿気が多く、おまけに雨期だ。君はカエルに似ているので活躍できるだろう」と冗談半分に言われたと笑う。 実際のところ、省内では「彼適任」という暗黙の了解があった。役人離れした柔軟な発想、町おこしを手掛けてきた実力が、混乱に強い「起業家」をほうふつとさせるのだろうか。 長野県内の書店で、昨年の売れ筋上位に挙がった単行本がある。 古川が長野県地方課長だった90年1月、県庁の友人たちと出版した「Hamidas」だ。 ![]() 古川は県内をくまなく歩き、「長野県は観光情報と歴史の本は多いが、地域の生の声を伝える生活情報が少ない」と看破した。そこで「地域を再発見しよう」と有志を募って出版にこぎつけた。 書名はもちろん現代用語辞典「imidas」(集英社)のパロディだ。 「海なし県の長野県人は、実は海が好きでよく新潟へ海水浴へ行く。しかし鮮魚センターで買ってくるお土産はなぜか干物。山国気質がこんなところにも表れる」−−。 こまごまとしたこんな話題を県内各地から集めたところ、「初版8,000部がすぐに売り切れ、延べ32,000部を完売しました」。 古川は「現場に溶け込むのが性に合っている」。沖縄県出向時代には「沖縄の風土にどっぷり漬かり自治省をやめて土着しようかと真剣に考えた」。長野時代は「(付き合いが長すぎて)体重が7キロも増えた」。 この間、東京で消防庁に勤務した時には、群馬・御巣鷹山の日航機事故に出くわした。「お前が行け、と言われ、無我夢中で現場を走り回りました」。 □ □ □ カンボジアの1週間で最も心に残ったのは、「日本に期待することは何か」という問い掛けに、「ザ・セイム!(どこの国でも同じ!)」と答える難民の人たちの笑顔だったという。 「ハッとしました。"日本だから何をする"という発想は、結局強い者が、弱い者を助けてやるという思い上がりなんです」。 「国際支援を国と国との経済力の差だけで考えると、結局"与える国"と"受ける国"のタテの関係になってしまう。東京と地方の関係も同じで、それではいけないんです」。 地域に、密着して人間同士の交流を深め、その中から地域固有の文化をどう伸ばしていくか一緒になって考える−−。それが古川本来のやり方だ。 古川は、政府が今後派遣するとみられる支援団に「ぜひ参加して選挙管理のお手伝いなどをしたい」と志願している。それが古川なりの国連平和維持活動(PKO)なのだ。 |