古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。
平成5年盛夏発行 季刊 ふるさと・きゃらばん
四谷・ふるきゃらネットワーク便り「豪腕と豪傑の対決」

【村田 兆治氏プロフィール】

1949年広島県生まれ。福山電波工業高校(現近大福山高校)卒。
1967年東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)にドラフト一位指名で入団、本格派投手として活躍。その独特なフォームはマサカリ投法と呼ばれる。最多勝、最多防御率、最優秀選手、ベストナイン等に輝く。東京都都民文化栄誉賞受賞、現在野球評論家として幅広く活躍中。

(左) 古川氏

(右) 村田氏

 豪腕と豪傑が東京・四谷のふるきゃらネットワークで顔を合わせる事になり、事務所スタッフは緊張した。
 豪腕といえば言わずと知れたマサカリ投法、通算215勝をマークした村田兆治氏。投手生命も危ぶまれた右肘手術から奇跡的な復活。想像を絶するリハビリの苦しみを乗り越え、開幕11連勝をマーク。
"サンデー兆治"の感動を全国の野球ファンに与えたことは記憶に新しい。独特の投法、実直な性格は、"昭和生まれの明治男"の異名もある好漢、好男児。
 一方、豪傑といえばこの人。佐賀は唐津市の生まれ。東大は「法学部卒というより、ボート部を卒業した」と豪語する自治省の古川 康氏。
氏が長野県地方課長時代に県庁の仲間と出版した「現代信州の基礎知識・Hamidas」は同県の年間ベストセラーを記録。県内をくまなく歩いたその行動力と独自の鋭い洞察力にはひたすら舌を巻く。
政府のカンボジア派遣メンバーにも敢然と志願する気骨のある元気人。小気味いい語り口に劇団にも氏のファンは多い。
 「ただひとつ、この男には難がある。ワシ心配やで」
 今回の会談をセットした京都応援団代表大歳昌彦氏は嘆くことしきり。聞けば古川氏は九州男児の典型。野人に私鉄ライオンズの流れをくむライオンズの熱烈ファン。所沢に本拠地を移した西武ライオンズが今でも三度の飯より好きという。
 となると、"元ロッテの村田"はにっくき敵陣になるという次第。
「村田武蔵はまだかと古川小次郎がまってるみたいなもんやがな。おお恐ワ」と大歳氏、部屋の中をウロウロ。
 果たして村田氏と奥様の淑子さん、秘書の鉄矢さんが颯爽と現れて一同起立、礼。
それから心配した火花は散ることなく和やかな談話が続いた。
 村田氏は淡々と語る。
 「私を育ててくれた野球で恩返しになればと、全国の有人離島を回り野球教室などムラおこしのお手伝いをさせてもらっています。私の通算勝利数にちなんで215島以上是非回りたいと思っています。」

 「これまでに長崎県生月島を皮切りに現在20島を回らせてもらいました。将来、離島野球大会が出来るようにと私財を投じてマサカリ基金を設けております。島の人たちに野球用品をプレゼントしたり、東京ドームの観戦に招待したり。めったに生のプロ野球選手に出会ったことがない彼らの瞳は生き生き輝いて、それはそれはこちらの方こそ感動させてもらう場合が多いですよ」
 豪腕の話を受けた古川氏。
 「そりゃそうでしょう。私でも一回は村田兆治さんのフォークを打ってみたいですよ。当たるかどうかまったく自信ないですけど(笑い)」
 用意した食事を大歳氏が村田氏にすすめる。「コレ、今日"京とうふ"を豆魂・藤野清治に送らせましたからどうぞ」「そうですか。ワザワザ。いつもお気遣いいただいてすみません。実は中日の落合選手にも食べてもらいましたが彼も気に入ってましてね。もっと早く大歳さんが藤野さんの豆腐を紹介してくれてたら私の投手生命もあと2、3年は延びてたのにね(笑い)」

 豪腕と豪傑の出会い。豪快に飲み且つ食べて、二人の話は尽きない。
 ここ東京四谷のふるきゃらネットワークでは、ふるさときゃらばん応援団を介してたくさんの出会いが生まれている。