![]() 古川 康の自治省時代から知事になる前までの執筆をご紹介します。 |
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| 平成14年8月発行 月刊 長崎消息 | |
| 「一本のビデオテープ」 | |
| 長崎県総務部長 古川 康 | |
はじまりの前に 今の立場ではなかなかそういうわけにもゆかないのだけれど、僕の人生の目標のひとつに「歳の数以上の外国に旅をする」というのがある。 これまでだいたい25くらいの国を旅した。だいたいというのもヘンだが実は国数のカウントというのは、けっこうむずかしい。たとえば、97年以前に香港とロンドンに行ったというのを、同じイギリスで1とするのか、海外領土は別ということで2とするのかとか、そういうことがいろいろあるのである。 ところが、どこに行った何をした、という話は自分で書いていてもなんかおもしろくない。本も多いし、それ以上にネット上には溢れている。 過去の旅の記録を探したら、ある手紙が出てきた。それはあるビデオテープが送られてきた時に添えられたものだった。それを読み直しながら、そのビデオテープのことを思い出した。 読んでもらって、そういう海外での体験をしたいということで、少しでも休暇取得促進になればと紹介させてほしい。 一本のビデオテープ そのビデオテープは8年前にタイに行った友人が撮ったものだ。彼はタイの子どもに奨学金を出す地球市民の会という国際交流団体のメンバー。 いまやNPOの法人格を取得したその会には僕も会員として登録している。 そのビデオは、仲間数人が福岡空港に集まっているところから始まっていた。 タイにはイサーンという地域がある。タイの東北部、ラオスに近いところだ。バンコクやパタヤの賑わいとは別の顔がそこにある。タイの中では経済的にとても貧しい地域といっていいだろう。 地球市民の会では、中学生には月1,000円、高校生には月3,000円の奨学金を出す事業をやっている。 それだけあれば学校に行けるというのである。この事業の相手方が、イサーンのクーキャオという村にある学校だ。会では現地を訪ねるスタディ・ツアーを「地球隊」と称してやっていて、僕も行くはずだったのに急に行けなくなり、そのかわりにビデオを送ってくれたのだった。 ビデオでは一行はクーキャオ小学校の校長先生と懇談していた。 この学校と地球市民の会は継続的に交流を続けているから、お互いに顔なじみの人も多い。 通訳を交えながらも、初対面ではないあいさつが終わり、最近の村のことになった。 隊員のひとりが「ところで雨ガッパは活躍していますか?」と尋ねた。 この地域には傘はもちろん、雨具を持っていない子どもが多いというので、以前、雨が降っても学校に来られるように、と雨ガッパをみんなで送ったことがあったのだ。 校長は答えた。「ええ、おかげさまで。ただ、こういうこともあったんです。」 校長は言葉を続けた。「ある子どもが雨の日、なぜかずぶぬれになって学校に登校してきました。雨ガッパはどうした?なくしたの?まさか売ってしまったんじゃ?でも子どもの答えは違いました。 「ぼくが雨ガッパを着れば学校の行き帰りに濡れないですむ。でもぼくのお父さんは一日中畑で仕事をしている。学校には屋根があるからぼくはその間は濡れない。だけど畑には屋根がない。だからあの雨ガッパは、お父さんに使ってもらうことにしたんだ。」と言ったのです。うちの子どもたちはそういう子どもたちなんです。」 隊員たちは沈黙していた。 次の日、今度は学校で子どもたちと遊ぶことになった。 将来、何になりたいの?と聞くと、「エンジニアになってお母さんに楽をさせたい」「バンコクで働いてお金をためて、この村に戻ってきて、この学校を建て直したい」などという答えが多い。 自分だけどうする、ということではなく、両親や地域に対して自分がどうしたいか、という視点の入っている答えが多いな、というのがひとつの感想だった。 お昼になった。あたりまえのことだが学校給食はない。めいめいが自分の家から食べるものを持ってきている。教室の中は、それまでとは違った意味での華やいだ雰囲気となっていた。 そんな中、ある隊員が、女生徒に「ねえねえ、あなたのお弁当を撮らせて」と話しかけた。 女の子は恥ずかしそうにして、見せようとしない。慎み深く、そして遠慮がちなこの国の、この地域の、文化の表れだろうと、「まあ、そういわずにさ、記念だから」と重ねてその隊員は頼んだ。 人にお願いされたら自分にできることは最後には断らないという仏教的な優しさからか、かぶりを振っていたその子もとうとうOKした。 恥ずかしそうに、その子は自分の弁当のふたを開けた。弁当箱の中身は、小さい弁当箱なのにそれでも片寄ってしまって、半分しか入っていないご飯だった。そこに揚げた小さな魚が2匹。それがすべてだった。 突然、映像が途切れた。 そのビデオを撮っていた隊員、つまり弁当を見せてとせがんだその隊員が、ショックとおそらくは申し訳なさから、ビデオを落としてしまったのだった。 そのビデオテープはそこで終わっていた。 添えられた手紙 そしてそのビデオテープに添えられていた手紙にはこうあった。 「(前略) 私が以前、奨学金を出していた少年、というか元・少年から手紙が来ました。その後、IT関係の企業に就職して、今度台湾の工場に勤めることになったというものでした。 私は彼に会いに台湾に行きました。昔を懐かしみ、またこれからの夢を語りながら、食事しました。その中で家族の話が出ました。彼には弟がいます。その弟が今度高校に進むことになった、ということでした。 僕は「じゃあ、また奨学金出させてよ」と軽い気持ちで言いました。 ところが、彼から帰ってきた答えはこうでした。 「あなたのおかげで私はこうやって、学校を出て、台湾に来ました。おかげでタイにいるのと比べてたくさんの収入を得られるようになりました。今度は私が弟の面倒を見ます。そして弟も学校を出たら、また自分で仕事を見つけてゆけるようになると思います。あなたの蒔いてくれた種がこうして育っているということなんです」 古川さん、これだから辞められないんですよね」 |